「無自覚の前提」に気づいて、
授業が変わった

小野 アーティストでもあり教育者でもある末永さんが、大人が子どものように興味のタネを見つけていくことの大切さ、また、探究の根を広げていくことの重要性に着目したきっかけは、なんだったのでしょうか?

末永 アーティストたちは、決して何か具体的な課題を解決しようとか斬新なものを生み出そうとかいった思いで制作活動を始めるわけでありません。それまでのアートの潮流とは違う「ものの見方」をし、新しい価値ある作品を生み出せたのは、アーティスト自身がもっていた「興味のタネ」から出発したからです。だからこそ、教育の場でも仕事の場でも生活の場でも、自分の関心や抱いている疑問こそが重要なんじゃないかとずっと考えていました。

 また、私自身が美術教師として体験したこともきっかけの1つですね。美術教師として中学校に勤務していた当初は、今のアート思考の授業とは正反対の授業をやっていました。

 私自身が絵を描いたりものをつくったりすることが大好きなので、作品中心、つまり「花」をつくること中心に授業をしていました。それが変わったきっかけは、あるアートワークショップです。そこで気づいたことが、1つの転機になっています。

価値ある仕事は「上位目標」から生まれる

 私が初めて学校外で行ったワークショップ「光のファッションショー」は、ブラックライトで光る素材を使って服をつくるというものでした。

 企画者だった私は、参加している子どもたちみんなが時間内で服を完成させられるように動きまわっていました。「学校ではできないことをやるぞ!」と意気込んでいて、最後に完成した服を着てファッションショーをやりたいと思っていたんですね。

 このとき印象的だったのが、ちょっと見づらいんですが、写真の奥の真ん中あたりで座っている女性スタッフです。参加している1人の女の子の隣に座って、その子だけを見ていました。何かアドバイスをするわけでもなく、ただずっと横に座っていたんです。

 その女の子の作業はほとんど進まず、時間内には結局終わらなかったので、「このスタッフは何をしようとしていたのだろう?」という疑問を感じました。当時の私の教育観からすると、強い違和感を覚えたんです。

 そのときの光景がひっかかりとなっていろいろ考えていくうちに、私が教育に対して「無自覚の前提」みたいなものを抱いていたことがわかってきました。「学校外のワークショップなのに、みんな同じ時間内に進める必要があったのか?」「そもそも作品を完成させることが目的でよかったんだろうか?」「それは私がちゃんと考えて決めた目的だったのか?」「『美術とはこうあるべき』という固定観念でゴールを設定してしまっていたのではないか?」など、美術や教育に対して疑問がたくさん湧いてきました。

 それ以来、「この授業で実現したい『本当に大事なこと』は何か?」という上位目標を1つひとつ考えて授業を行うようになりました。学校外のワークショップがきっかけで考えたことが、学校内で美術教師としての活動にも生きていったのです。