唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

「ストレス」よりはるかに多い! 胃潰瘍や十二指腸潰瘍の9割を占める「原因」とは?Photo: Adobe Stock

胃がんの最大の危険因子

 がんとは、何らかの遺伝子の変化によって細胞が無秩序に増殖する病気のことだ。周囲の臓器を破壊するなどして大きくなり、時に命を脅かす。

 多くのがんは、さまざまな要因が重なってできていて、原因は単一ではない。とはいえ、それぞれのがんについて罹患リスクを上げる危険因子は多く知られている。

 例えば、肺がんは喫煙者に多いがんである。喫煙者の肺がんは非喫煙者より四・八倍も多く、喫煙は肺がんの最大の危険因子である。ちなみに、喉頭がんは五・五倍、食道がんは三・四倍、喫煙者に多い(1)。

 では、胃がんはどうだろうか?

 胃がんの危険因子としては、食塩や塩蔵品が知られている。塩蔵品とは、漬物のような塩漬けの食べもののことだ。また、喫煙が胃がんリスクを高めることも知られている。

 だが近年、もっと大きく、かつ確実な危険因子の存在が明らかになった。ヘリコバクター・ピロリ(以下、ピロリ菌)という細菌である。胃にピロリ菌が感染すると、胃の粘膜に慢性的な炎症を引き起こす。長い年月を経て萎縮性胃炎と呼ばれる胃粘膜の萎縮に発展し、胃がんが発生しやすい状態になると考えられている。

 ピロリ菌に感染していても必ず胃がんになるわけではなく、ピロリ菌感染は一つの危険因子である。とはいえ、感染者の胃がんリスクは非感染者の一五~二〇倍以上であり、ピロリ菌感染のない胃がんは一パーセント以下とされている(2)。

 では、ピロリ菌はどのように人に感染するのだろうか?

 実はほとんどが家庭内感染である。乳幼児期に、親から口を介した感染が多い。一方、大人になってからは、キスなどによる感染や食事による感染はないとされている。

 胃にピロリ菌がいるかどうかは、さまざまな検査で調べることができる。よく行われるのは、尿素呼気試験という検査である。尿素を含む検査薬を飲んだあと、口から吐く息を調べるものだ。

 ピロリ菌は、尿素を分解するという特徴を持つ。尿素が分解されてできるのが、二酸化炭素とアンモニアだ。よって、胃の中にピロリ菌がいれば、検査薬中の尿素が分解され、発生した二酸化炭素が呼気に含まれる。逆にいえば、この二酸化炭素を検出できれば、ピロリ菌の存在を証明できる。

 ところが、ピロリ菌感染の有無にかかわらず、そもそも誰の呼気にも二酸化炭素は含まれている。どのようにして、「ピロリ菌が発生させた二酸化炭素」を識別すればいいのだろうか?

 実は、検査薬の尿素中の炭素原子Cを、同位元素である13Cに置き換えておき、13CO2を検出するのである。自然界には、質量の異なる炭素原子Cが複数種類あり、約九九パーセントが12Cである。したがって、検査薬を内服した後、呼気に含まれる二酸化炭素に13CO2が多ければ、ピロリ菌の存在を証明できるのだ。もちろん13Cは人体に害はない。

 ピロリ菌は、胃がん以外にも胃のポリープやリンパ腫、胃・十二指腸潰瘍など、さまざまな病気と関連している。胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因は何かと問うと、多くの人が「ストレス」と答えるが、ピロリ菌が原因となる潰瘍のほうがはるかに多い。実際、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の約9割は、ピロリ菌か痛み止めが原因とされている(3)。

「痛み止めが胃を荒らす」という事実は多くの人が知っているだろう。ロキソニンやボルタレンなどに代表される「非ステロイド性抗炎症薬」は、胃の粘膜を保護する因子「プロスタグランジン」の産生を妨げ、胃の粘膜を傷めてしまう。ピロリ菌とともに、胃・十二指腸潰瘍の大きな要因なのだ。(3)。

【参考文献】
(1)日本医師会「たばこの健康被害
(2)『H.pylori感染の診断と治療のガイドライン 2016改訂版』(日本ヘリコバクター学会ガイドライン作成委員会編、先端医学社、二〇一六)
(3)『消化性潰瘍診療ガイドライン 2020 改訂第3版』(日本消化器病学会編、南江堂、二〇二〇)

(※本原稿は『すばらしい人体』を抜粋・再編集したものです)