メール、企画書、プレゼン資料、そしてオウンドメディアにSNS運用まで。この10年ほどの間、ビジネスパーソンにとっての「書く」機会は格段に増えています。書くことが苦手な人にとっては受難の時代ですが、その救世主となるような“教科書”が今年発売され、大きな話題を集めました。シリーズ世界累計900万部の超ベストセラー『嫌われる勇気』の共著者であり、日本トッププロのライターである古賀史健氏が3年の年月をかけて書き上げた、『取材・執筆・推敲──書く人の教科書』(ダイヤモンド社)です。
本稿では、その全10章99項目の中から、「うまく文章が書けない」「なかなか伝わらない」「書いても読まれない」人が第一に学ぶべきポイントを、抜粋・再構成して紹介していきます。今回は、おもしろい文章を書く力がつく「筋トレ」について。(写真/兼下昌典)

文章力アップの秘訣は「慣用表現の禁止」にあり!!『取材・執筆・推敲』を教科書とする「バトンズ・ライティング・カレッジ」における著者の講義。プロのライターを目指す30数名の熱心な受講生が集う。

文章にも、筋トレがある

 文章力、ということばがあります。個人的に、あまり好きではないことばです。

 これが理解力や想像力、計算力などの用法であれば、別にかまいません。理解「する」力であり、想像「する」力であり、計算「する」力なのだと、すぐにわかるからです。しかし、国語力、英語力、人間力、などの用法はどうでしょう。国語力とは、読む力なのか、書く力なのか、その総合なのか。英語力とはなんなのか。いわんや人間力とは、なにを指したことばなのか。

 日本語は、単語のお尻に「力」をつければそれらしく聞こえる特性があります(それゆえ『○○力』のタイトルを冠したビジネス書が量産されてしまいます)。文章力も同様です。ぼくのなかでは「人間力」とあまり変わらない、あいまいなことばに聞こえてしまうのです。

 それでも、ここではあえて文章力の語を使いたいと思います。文章力を、「おもしろい文章を書く力」と仮定して、その「力」の部分に注目する。そのうえで筋力トレーニングのように、書く筋肉を鍛える方法を考えていきましょう。

 スポーツ経験者ならわかるでしょう。球技の上達にはセンスが必要ですが、筋トレにセンスはいりません。原則として鍛えたぶんだけ結果がついてくるのが、筋肉というものです。そしてレトリックを含んだ文章表現にも、筋トレに該当するトレーニング方法がいくつかあります。書くことに制約を設け、負荷をかけるのです。

 今回はぼく自身が実際に採り入れているトレーニング方法のうち、もっとも基本的なものを紹介したいと思います。

文章力アップの秘訣は「慣用表現の禁止」にあり!!古賀史健(こが・ふみたけ)
1973年福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年にライターとして独立。著書に『取材・執筆・推敲』のほか、31言語で翻訳され世界的ベストセラーとなった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著、以上ダイヤモンド社)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著、ほぼ日)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社)など。構成・ライティングに『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著、ポプラ社)、『ミライの授業』(瀧本哲史著、講談社)、『ゼロ』(堀江貴文著、ダイヤモンド社)など。編著書の累計部数は1300万部を超える。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして、「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。翌2015年、「書くこと」に特化したライターズ・カンパニー、株式会社バトンズを設立。2021年7月よりライターのための学校「バトンズ・ライティング・カレッジ」を開校。

慣用表現を禁止せよ

 第一に、「慣用表現」を一切使わないようにしましょう。

 辞書的な意味から言うと慣用句は、ふたつ以上の語を組み合わせたとき、(それぞれのことば本来の意味から離れた)特定の意味をあらわす言いまわしのことを指します。「道草を食う」「襟を正す」「つむじを曲げる」といった表現です。

 これに対して、ぼくの言う慣用表現とは、辞書に載るほどの慣用句にもなりきれていない「ありふれた表現」や「使い古された言いまわし」のことだと考えてください。

 たとえば、「脱兎の如く駆け出した」という慣用表現。わりと高名な作家でも、この表現を使うことがあります。しかし作者は、そして読者は、ほんとうの脱兎(逃げ出すウサギ)を見たことがあるのでしょうか? それよりもたとえば、駆け出す野良猫のほうが、実体験を伴った俊敏さの比喩になるのではないでしょうか?

 あるいは、プロテニスの大坂なおみ選手の発言を報じるメディア。彼女の発言について、記者たちは簡単に「……と、なおみ節で締めくくった」や「……と、なおみ節を炸裂させた」などと書きます。いったい「なおみ節」とはなんなのでしょうか。ユーモアなのか、機知なのか、オピニオンなのか、飾らない発言のことなのか。メディアはなんら説明することなく──そして多くの場合はその中身を考えることもなく──ただ「なおみ節」のひと言で片づけます。

 このように慣用表現はその便利さゆえ、使っている本人さえもそれがどういう意味なのかわかっていない「雰囲気ことば」であることが少なくありません。人に伝える文章を書く人として、意味のわからない(正確に説明することのできない)ことばを使うのは、ぜったいに控えましょう。そして慣用表現を控え、自分だけのことばを探していくなかでこそ、表現力は磨かれていきます。

「腹落ち」や「解像度」をどう言い換える?

 その流れでぼくは、自分に馴染まない新語や流行語を使うことも極力控えるようにしています。いわゆる若者ことばのことではありません。そうではなく、たとえば深く納得することを「腹落ちする」と言ってみたり、理解の度合いや観察眼の鋭さを「解像度が高い」と言ってみたりするような、主にビジネス系の新語・流行語のことです。

 もしもその対象が、そのことばを使わなければ説明できないようなもの──あたらしい概念や新種のテクノロジーなど──であるのなら、該当することばもおおいに用いるでしょう。けれど、20年前や30年前から存在していることばで説明可能だったなら、ぼくはそちらを選びます。なぜか。

 新語・流行語はことばの賞味期限が不明で、あっという間に消えてしまいかねないからです。そしてまた、自分がどこまでそのことばの本意を理解できているのか、かなり怪しいからです。なんとなく「いまっぽい=カッコイイ」ことを理由に選んでいるだけだったりするからです。

 対象のことをほんとうに理解できていれば、その本質を「20年前や30年前からあることば」で語れるはずです。そしてそういうことばで語ってこそ文章は、20年後や30年後の読者にも届く普遍性を獲得するのだと思っています。

(続く)