唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。
へそを切って…
腹腔鏡手術を受ける方に、「まずはへそを切って小さな穴を開けます」と説明すると驚かれることがある。へそには特別な思いがあり、誰もが漠然と「切ってしまったら悪いことが起こりそうだ」と不安になるものなのだ。
へそは、胎児と母体がへその緒(臍帯)で繋がっていたときの名残である。胎児は羊水の中に浸かっていて、呼吸や食事はできない。そこで、母体から臍帯を通して酸素と二酸化炭素を交換し、栄養をもらう。臍帯を流れる血液は、胎児のへそから体内に入り、そのまま各臓器を巡っていく。
実は私たちの体内には、へそと肝臓、へそと膀胱をつなぐ管の「名残」がある。これらはそれぞれ、「肝円索」「正中臍索」と呼ばれる。すでに内腔は閉鎖し、出生後は機能を失っているが、かつては母体の中で胎児の命をつなぐ管だった構造物だ。
出生後は自分の口で呼吸や食事ができるため、へそはもはや必要のない臓器である。手術で切っても大きな問題はないし、何らかの理由で切り取ってしまうこともある。雷の日はへそを隠さないと鬼にへそを取られてしまう、という昔話があるが、実際には「取られても構わない構造物」なのである。
また、へそはもともと腹腔の中と外がつながる出入り口だったために、硬い筋肉や筋膜が部分的に欠損している。したがって、もっとも壁が薄く、腹腔内に安全に到達しやすい。その点でへそは、手術で最初に開ける穴としては最適なのである。
さて、一般的な腹腔鏡手術では、まずへそに穴を開け、トロッカーと呼ばれる筒状の器具を挿入し、そこからカメラを入れる。お腹の中を観察しながら、他にもいくつかの小さな穴を開け、同様にトロッカーを挿入する。
高枝切りばさみと同じ
カメラで映した映像を見ながら、マジックハンドのような器具(鉗子)を使ってお腹の中で手術をする、というしくみである。原理は「高枝切りばさみ」と同じである。
なお、体内は真っ暗であるため、カメラの先端には強い光源がついている。この光が体内を明るく照らし出すことで、手術が可能になるのだ。
かつては、お腹の手術といえばお腹の真ん中をまっすぐ切り開く「開腹手術」が一般的だった。近年は腹腔鏡手術が急速に普及し、多くの手術がカメラを使って行われている。お腹の中で行う作業は同じだが、高画質のカメラを使うことで、人間の目を超える精細な近接画像のもとで手術ができるという利点がある。
さらに、これまで懸命に覗き込んでも見えにくかったお腹の奥のほうにもカメラが入り込み、クリアな視野を術者に提供できるのも大きなメリットだ。
お腹だけでなく、胸の中の手術でも同様の方法が普及している。こちらは胸腔鏡と呼ばれるが、しくみは同じである。肋骨で囲まれた狭くて深い空間でも、カメラが潜り込んで精細な映像を提供してくれるのだ。
なお、腹腔鏡や胸腔鏡など、体の中にカメラを挿入して行う手術を「内視鏡手術」と総称する。内視鏡手術が世界で初めて行われたのは一九八〇年で、胆のうを摘出する手術が最初である。
カメラの精度が著しく進歩し、年々適用できる臓器が広がり、今では胸やお腹の中の臓器のほぼすべてにおいて内視鏡手術が行えるようになっている。
ただし、今でも開腹・開胸手術が必要なケースはあり、こうした手術がなくなることはない。内視鏡手術が増えているとはいえ、病気の状態に応じて従来の手術と使い分けているのが現状である。
(※本原稿は『すばらしい人体』を抜粋・再編集したものです)