“生き続けなければならない”という絶望
――徳井さんはご自身の著書『敗北からの芸人論』(新潮社)で、芸人さんを「ダウンタウンにはなれない絶望」からスタートする職業と書かれていましたね。そんな絶望から自分なりのスタイルを探っていく人たちを愛しく考察されていました。そうした視点で物事を見つめるようになったのはなぜなのでしょうか?
徳井:実は僕、小学1年生までこの世界は全部“夢”だと思っていたんですよ。だからモノを壊して大人に怒られたり、友だちとケンカしたりしても「どうせ夢だから」って謝らない子でした。でも小学校に上がったころから、「なんか夢、覚めねーな」って思い始めて……。
ある日、1人で傘をグルグルと振り回しながら、空を見上げて歩いていたときに、ふと「え、これ夢じゃないのかも!?」って気づいたんです。その瞬間「やっべー!」って。
「ケンカしたアイツ、本当に俺のことすげー嫌いってことじゃん」って、これまで買ってた恨みの数が半端じゃないって理解したら恐ろしくて。こんなに嫌われて、恨まれてるなら、もう死ぬしかないって思ったんですよ。

――小学校1年生で!?
徳井:はい、「やばい、もう俺死のう!」ってなりました。でも、思い返してみたら母親に叱られて反撃したいって思ったけどガマンしてたことや、人のモノを盗むとかっていうことはしなかったんですよね。
「夢だ」と思っていても、すべてやりたいと思ったことをやり尽くしたわけではなかったなって。
それはそれでもったいない、って気がしたんです。
やればよかったっていうのをなくすために、やれるだけのことはやってみよう。死ぬまで生きようっ決めて、今まできました。
――まさに「死ぬ気になれば何でも」みたいな心境ですね。
徳井:ちょっと哲学的な話になりますけど、僕にとって「死」って全然ネガティブなことじゃないんですよね。逆に終わりが見えない中で、生き続けなければならないっていうほうがよっぽどつらいことで。
うちの相方(吉村崇)とか「死にたくない」ってよく言うんですよ。叶うなら「不老不死が夢」みたいな。「いやいや、それ俺にとっては一番の罰だよ」って思うんですけど。
「死ねない=終われない」なんてなったら、俺はどうしたらいいか、わからない。いつか死ぬからがんばれるのに、って。
――むしろ「ちゃんと生きよう」と振り切れたのがすごいですね。人によっては絶望したまま頑張れないという道もあるのでは?
徳井:だから、小学1年生で「この生活を続けなきゃいけないんだ」って自覚したあのときが、人生で最も絶望した瞬間だったんだと思うんです。死ぬまで終わらないなんて、つらすぎるって。
それゆえに、絶望から自分なりのスタイルを探りながらがんばって生き続けている人が好きなんだと思います。
それに、あのとき以上の衝撃も、もうないと思っていて。むしろこの世界で起こることはすべてが想定内というか。良くも悪くも自分が想像したことはたいてい起きるだろうって考えるようになりました。「はいはい、そのパターンね」と。そこには親父の教えも強いかもしれないです。