本書では青年と小池康仁が以下のような会話を交わしています。
青年:言っていることは何となくはわかりますが、ビジネスは対等な経済行為ではないでしょうか。なぜ僕が寄り添わなければならないかが腑に落ちません。
康仁:儒教の「五徳(仁義礼智信)」という観点からお話すると、人が「仁」の心を持って行うのが仕事であると説いています。つまり、人に仕え、守り、慈しむこと。それこそが仕事の本質であると。
つまり、あなたが担当しているお客様を、全力でお守りするという意識で仕事に励めばいい、となります。それができると、あなたとその方との間に信頼関係が構築され、その結果、あなたから商品を買いたいとなり、商品が売れて会社にお金が入り、あなたの評価も上がっていきます。
仕事の目的はお客様のために働くことであり、自分が売りたい商品を売ることではありません。成果を上げることはいったん手放し、目の前の方にお仕えし、喜んでいただくことを一所懸命やるのです。
青年:少しずつですが、何となくわかってきました。
不公平という価値観は
あなた自身がつくり出したもの
思うに任せない自分の仕事に対して、同僚が取引先と良好な関係を築いているのを見て自分の運の悪さや、同僚への妬みが湧いてくることもあるのではないでしょうか。自分だけがいつも外れくじを引いているような。「なんで自分だけが」と。
それに対しても本書では次のように説いています。
青年:僕は10年前に高卒で今の会社に入りました。入社の時点で大卒との差はあるだろうと納得していたので、給料差は仕方ないと思います。ところが、取引量の多い花形企業は任せてもらえず、癖の強い中小企業ばかりを押し付けられています。そんな取引先なので、成績も上がらない、成績が上がらないから上司に認められず、結果、給料もアップしない悪循環にいます。これって不公平ですよね?
康仁:確かに一見不公平に見えますね。でも、そんな風に誰かと比べて何かが多い、少ない、良い、悪いと考えていると、その比較の先に幸せな未来は見えますか?
物事を比較して考える相対性の世界にいると常にその差が気になります。不平不満を抱きたくないのであれば、誰かと比べる相対性の世界から離脱することです。
こう考えてみてください。あなたが抱いている「大卒がいい」という価値観は他の誰かがつくり出してあなたに手渡したものではなく、あなた自身があなたの脳内で勝手につくり出した価値観なのだ、と。
青年:僕がつくり出した価値観ですか……。でも普通に考えても、高卒より大卒のほうがあらゆる場面で有利ですよね?
康仁:確かに相対性の世界で見るとそういう面もあるかもしれません。ですが、中卒や高卒で職人や芸術の世界に飛び込む人もいらっしゃれば、経営者として活躍している方も大勢いらっしゃいます。
この世には一人として同じ人はいないのです。生まれた瞬間からそれぞれの身体の特徴が違うでしょう。貧しい家に生まれる子もいれば、お金持ちの家に生まれる子もいる。親から受け継いだ才能や資質も全部違う。千差万別の人間同士を比べること自体、意味がないのです。
名誉、地位、権力、学歴、収入、出世、結婚、社会的評価といったものは、私たち人間を飾り立てる「アクセサリー」でしかありません。アクセサリーに振り回されるのは本末転倒の生き方ではないでしょうか。
(本原稿は、小池康仁著『「自分」の生き方 運命を変える東洋哲理2500年の教え』から一部抜粋・改変したものです)
一部上場企業に入社後、IT・戦略会計・人材育成分野のコンサルタントとして、主に上場企業を中心に10年間コンサルティング業務に従事。国内大手メーカーの教育機関に転職後、国内外の人材育成業務に携わる。その後、独立起業し、現在は数十社の会社を統括する経営者であり、経営アドバイザーとしても活躍中。また東洋哲理思想の帝王学・陰陽五行論を経営に活かす第一人者として、現在全国で2000名以上に指導を行っている。