ブルームバーグのチーフアジアエコノミスト、ウォール・ストリート・ジャーナル紙記者として北京から8年にわたり中国経済を報じた著者が記した、ユニークな中国経済の解説書『China: The Bubble that Never Pops』の邦訳『中国経済の謎―なぜバブルは弾けないのか?』がついに発売されました。
それを記念し、同書の翻訳者・藤原朝子氏による「あとがき」を公開します。同書は、世間にあふれる中国本とどのように違うのでしょうか?
なぜ、中国経済のバブルは弾けないのか?
「中国経済混乱“金返せ!”恒大集団の経営悪化」
「中国版“リーマンショック”の恐れ!?」
「不動産業界に倒産の波 世界が警戒―」
そんなヘッドラインが世界のメディアを賑わせたのは2021年8~9月のこと。
マンションを中心とする不動産デベロッパーの中国恒大集団が、巨額の債務を抱えて経営難に陥っており、世界経済への影響も必至だというのだ。
あれから半年たった今、「あれ? 結局、中国恒大の問題ってどうなったんだっけ?」と思う方は少なくないのではないだろうか。
中国経済をめぐる議論は、長年、この繰り返しだった印象を受ける。
「上海株が暴落、ついに成長神話も崩壊か」
「ゴーストタウンが予兆する経済崩壊」
などと報じられるのに、いつのまにか危機は終わっている(ように見える)。
本書はそんな「中国経済の謎」を解き明かす。
センセーショナルな報道は、必ずしも誇張とは言えない。人口14億人の中国で起きるトラブルは、日本はもとより、世界の多くの国にとってケタ違いに巨大であることが多い。中国恒大の債務合計額は、2021年6月の時点で約2兆元(約35兆円)と言われるし、2016年の中国のマンション空室は約1200万戸と、カナダの全人口を住まわせるに十分な数だった。ただ、中国にはそれをカバーする経済規模と金融システムがあり、経済当局には勉強家で独創的な施策を打ち出すテクノクラートがいる。また、合法性や適正手続を無視して強引に政策を実行できる一党独裁制だ(もちろんそれには多くの弊害もある)。だから少なくとも今までは、政治・経済・社会の破滅的な崩壊は回避できたと、著者トーマス・オーリック氏は説く。
現在ブルームバーグのチーフエコノミストとしてワシントンに住むオーリック氏は、2011~2013年までウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者として、そして2013~2018年にはブルームバーグのチーフ・アジア・エコノミストとして、計8年間北京から中国経済を報じてきた。上海交通大学で中国語を学んだ2年間を含めると、通算10年あまり中国を内側から見てきたことになる。もとはイギリスの出身で、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で学び、英財務省のアナリストとして勤務した後、ハーバード大学ケネディスクールで公共政策の修士号を得ている。
中国経済の5つのサイクル
常識的に考えれば、進むも地獄、戻るも地獄のような状況を、どうやって中国は乗り超えたのか。この問いを解き明かすにあたり、オーリック氏は興味深い2つのアプローチをとっている。
まず、中国の経済政策や金融政策の分析に徹底的にフォーカスしている。一般的な「中国本」は、指導者の父親が誰で、育ちはどうで、それが思想や政策にどう影響を与えたかといったことを解説することが多いが、オーリック氏は、そうした領域にはほとんど立ち入らない。中国共産党内の権力闘争への言及も、必要最小限にとどめている。上海閥や太子党といった「派閥」への言及もゼロだ。このアプローチは中国関連本ではかなり異例と言えるのではないか。
本書のもう1つの興味深い点は、中国経済のサイクルを独自に5つにわけているところだ。一般に、現代中国の分析は、最高指導者の交代を区切りとした「世代」別に語られることが多い。
第1世代(1949~1976年)毛沢東時代
第2世代(1976~1992年)華国鋒・鄧小平の時代
第3世代(1992~2002年)江沢民の時代
第4世代(2002~2012年)胡耀邦の時代
第5世代(2012~)習近平の時代
これに対してオーリック氏は、改革開放以降の中国には5つのサイクルがあったと指摘する。いずれも新たな改革の機運に始まり、それが大きな広がりを見せるものの、景気過熱などの問題を抱えるようになり、さらに内外の危機に直面して、新たな抜本的改革が必要になる、というサイクルだ。
第1のサイクル(1978~1989年)改革開放~天安門事件
第2のサイクル(1992~1997年)南巡講話~アジア通貨危機
第3のサイクル(1998~2008年)朱鎔基の改革~リーマン・ショック
第4のサイクル(2008~2017年頃)4兆元の刺激策~サプライサイド改革
第5のサイクル(2017年頃~)
構成としては、第1章と最後で、2017年に本格的に始まったデレバレッジ(過剰債務の削減)の取り組みが紹介される。GDP比260%という莫大な債務が生じた背景と、成長を潰さずにその債務を縮小するという「不可能を可能にした」政策当局の手腕を明らかにするというかたちで、5つのサイクルが紹介されていく。各サイクルの説明に入る前に、第2章で莫大の債務の借り手はいったい誰なのか(国有企業と地方政府)、そして第3章で貸し手は誰なのか(銀行と地方融資平台)を説明する。そのうえで、第4章から、第1と第2のサイクル、そして第3のサイクルの前半が紹介される。
第1のサイクルは、1978年の改革開放政策から始まる。鄧小平の現実主義路線が、中央から地方まで「なんでも試してみて、うまくいくものは、すぐに大規模に採用する」流れをつくった。農業で生産責任制が導入され、工業では経済特区が設置され、金融では4大国有商銀が設立される。ところが物価が急騰したところで、価格統制が撤廃されたため、市中でパニック買いが起こり、社会不安が高まった。これが政治の自由を求める学生運動と共鳴して天安門事件が起こり、改革の流れはいったん途絶える。
天安門事件後、中国共産党では保守派が巻き返すが、1992年に鄧小平がスタートした南巡講話を機に、改革が再開する(第2のサイクル)。中国経済は急成長を遂げるが、1997年にアジア通貨危機が起こる。金融鎖国状態の中国は、どうにかドミノ倒しを避けることができたが、人民元が割高となったため、輸出産業は空洞化する。そこで江沢民政権の朱鎔基首相による国有企業改革が始まる(第3のサイクル)。朱鎔基は銀行改革とWTO加盟も実現して、21世紀の成長の基盤をつくる。
第5章の初めで、江沢民が「3つの代表」を唱えて、起業家を共産党に正式に取り込んだことが紹介されるが、オーリック氏は、これが中国における格差拡大の扉を開いたと指摘する。その直後に発足した胡錦濤・温家宝政権は和諧社会を唱え、農業税を減免するが、中国はWTO加盟を機に「世界の工場」と化していく。そこにリーマン・ショックがやってきて、中国の輸出業は大打撃を受ける。
第6章では、世界金融危機に対する中国の4兆元対策が説明される(第4のサイクル)。景気浮揚策としては大成功するが、4兆元のうち2兆8000億元は地方政府と国有企業が拠出することになったため、過剰債務の問題が深刻になる。
第7章と第8章、第9章は、習近平時代だ。トップに上り詰めた習は、まず腐敗の取り締まりに注力し、2017年に過剰債務を削減するためのサプライサイド改革を開始する。欧米のサプライサイド経済とは正反対に、国の介入を一層強めて成長を維持しつつ、過剰設備を削減する措置だ。これにより中国は、2017年頃から第5のサイクルに入るはずだと、オーリック氏は指摘する。
ただ、現在の状況を楽観しているわけではない。このサイクルでは、投資から消費へ、工業からサービスへ、そして国から民間へとシフトを進めなければならないのに、コロナ禍で国の管理は一段と厳しくなり、「中国経済は間違った方向に進んでいる」と、最近メールで語っている。米国との関係悪化やゼロ・コロナ政策への固執が、景気回復の足を引っ張る恐れもある。
中国恒大の問題も予断を許さない。「当局の緻密な管理下で、部分的デフォルトが進められてきたが、その影響が不動産業界全体に波及して、一連の経営破綻を引き起こし、成長や金融の安定に重大な打撃を与える可能性はある」と、オーリック氏は言う。その一方で、恒大に放漫経営の責任をとらせることは、「不動産業界のモラルハザードを縮小する正しい重要な措置だ」とも語っている。
本書を執筆するにあたり、オーリック氏が驚いたことの1つは、中国が発展の初期の段階で、日本や米国の高度成長期のアプローチから非常に多くを学んでいたことだという。これに対して現在の日本や米国は、国が発展の牽引役として、インフラの建設者として、そして科学技術への投資家として大きな役割を果たせることを忘れてしまったようだとも言い添えている。
本書の翻訳にあたっては、田渕直也氏、河田紀子氏、黄未来氏に貴重なご助言をいただいた。また、國分良成先生の中国分析には、常に多くを学ばせていただいている。心から感謝申し上げたい。