SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それ故、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察する(本編は書籍には含まれていない番外編です)。

人生が「生きづらすぎる人」に共通するたった一つの思い込みPhoto: Adobe Stock

アメリカで衝撃を受けた言葉

その言葉は、突然私の目の前に飛び込んできた。瞬間、ふっと視界が明るく開けたような感覚になって、頭の中が真っ白になった。ページをめくる手が止まった。

当時の私は(今もだけど)ろくに英語も話せなかったはずなのに、必死になって英語の本を読み漁っていた。アメリカに留学していたころの話だ。一文一文の意味を理解できていたわけではないし、何がなんだかさっぱりわからない箇所もたくさんあったけれど、それでもなんとか読み進めようと努力していた。留学前すでに読んでいた日本の名作文学の英語訳から読み始め、赤毛のアン、スティーヴン・キングなど有名どころから手をつけはじめた。

その本を手に取ったのは、同じように「アメリカでベストセラーになったらしいから」というごくごく単純な理由だった。エリザベス・ギルバートの『Eat, Pray, Love』。日本語版タイトルは『食べて、祈って、恋をして』。映画化されて有名だったというのもあるし、パラパラとめくったときに比較的簡単な英語が並んでいたから、これなら私にも読めるかもと思って手に取ったのだった。

正直に告白してしまうと、詳細なストーリーはほとんど覚えていない。何しろ10年近く前の話なのだ。人生に迷った主人公が旅をしながら自問自答していく、そんな筋だったことはなんとなく記憶しているのだけれど、細かいキャラクターや具体的なエピソードについてはほとんど抜け落ちてしまった。

それでも、その一文だけはずっと頭のなかに強く残り続けていた。今でもたびたび思い出すことがある。よほど衝撃的だったんだろうと思う。

それが、

“It’s better to live your own life imperfectly than to imitate someone else’s perfectly.”

という言葉だった。

このフレーズに出合ったときのことを、私は今でもありありと思い出すことができる。私はベッドの中でこの本を開いていた。几帳面なルームメイトはもうとっくに眠っていて、真っ暗闇のなか、すうすうという寝息が聞こえる。私は彼女を起こさないように小さな読書灯をつけて英語の文字を追っていた。勉強不足だから、頭にはちっとも内容が入ってこない。ただ最後まで目を通すことだけを目標に、一文一文を人差し指で撫でながらアルファベットを吸収していく。

集中力もほとんど切れかかっていた。これって読んでいる意味あるのかなと思い始めた。私はいつになったら英語を習得できるようになるんだろう──。そんな絶望感がじわりじわりと心の中に湧き上がってきたころだった。

ふっと、このフレーズが浮かび上がった。

それまでストーリーがちっとも入ってこなかったのが嘘のようだった。息が止まったような気がした

日本語に訳さずとも、その言葉の意図することがわかった。

「不完全でも自分の人生を生きるほうが、他人の人生を完璧に真似するよりずっといい」