唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されている。今回は、著者が書き下ろした原稿をお届けする。
刑事ドラマの衝撃シーン
刑事ドラマではしばしば殺害シーンが描かれる。中でもよく見るのが、犯人が包丁を被害者の脇腹に突き刺す、というものだ。刺された相手は、その場で倒れ、そのまま死に至るというのが典型的な流れである。
あの行為によって、一体お腹の中でどんなことが起こっているのだろうか? 医学的な見地から、真面目に考えてみたい。
包丁を正面から突き刺した場合、お腹の大きな領域を占める小腸や大腸がダメージを被る可能性が高いだろう。だが、腸の大部分は海底のイソギンチャクのように自由に動けるため(参考:【外科医が教える】お腹の臓器を摘出された人の「もともと臓器があった空間」はどうなる?)、腸はゆらりと逃げるように動き、完全に分断される頻度は低いと考えられる。
ただし、腸の壁が傷つき、腸の内容物がお腹の中にこぼれてしまう事態は容易に起こりうるだろう。
お腹の中の空間(腹腔内)は、本来無菌の空間である。腸の壁に穴が開くと、腸内の細菌がお腹の中に広がり、腹膜炎を起こす。手術などで適切に治療されないと、全身性の感染症に発展して命を奪う病気だ。
もちろん、これは数時間の経過によって起こるもので、その場で倒れて即死する可能性は低い。
「切腹」は即死できない
一方、腸そのものではなく、腸に栄養を送る血管に傷がつくほうが、短時間に生死を左右する可能性が高い。多量の出血が一度に起これば、あっという間に生命の危機に瀕するからだ。
腸へ向かう血管は「腸間膜」と呼ばれる脂肪でできた壁の中を網の目のように通っている。包丁がこれらを傷つけると、出血が起こる。
体格にもよるが、一般的に1リットル以上の血液が失われると生命に危険が及ぶとされる(日本赤十字社:https://www.jrc.or.jp/study/safety/bleed/)。どのくらいの太さの血管が傷ついたかによって、死に至るまでの時間は異なるが、おそらく数十分、あるいは数時間程度はかかるだろう。その場で倒れて即死する可能性は低いはずだ。
もちろん、大動脈など、お腹の深いところを通る太い血管を傷つければ大量に出血し、あっという間に卒倒してしまうに違いない。だが、標的の小ささと、表面からの距離を考えれば、ドラマの一場面でこの現象が起こっている可能性は高くなさそうである。
そういうわけで、ドラマのようにグサッと脇腹に包丁を突き刺しても、おそらく多くの場合、すぐに命が失われるわけではない。
かつて、武士が自害する際に行った「切腹」に、背後から刀で首を切り落とす介錯人が必要であったことを思えば、当然のこととも言える。お腹を切るだけでは、即死しないからである。
(※本原稿はダイヤモンド・オンラインのための書き下ろしです)