「人間は積極的にゲイになるべきだ」の真意とは?
「だから、思春期の彼はとても悩んだのだろう……。事実、彼は何度となく自殺未遂を繰り返している。つまり、フーコーは当時の社会にとって『正常』な人間ではなかったのだ」
「正常」という目に見えない何か、社会が押しつけてくる常識、他者の視線。それらに苦しめられていたのは、ほかならぬフーコー自身だったのか。
「最終的にフランス哲学界のトップに立った彼は、同性愛者であることが公に知られることになるのだが、インタビューの中でこんなことを言っている」
『同性の結婚が認められないうちは文明は存在しない』
『人間は、積極的にゲイになるべきだ』
なかなかに攻めた発言だ。今ならともかく、当時はかなり衝撃的な発言だったんじゃないだろうか。
「ただし、ここでフーコーが言っている同性愛は、いわゆる私たちが認識している同性愛のことではない。それだったら単純にフーコーが『自分が同性愛者だから同性愛を擁護している』だけの話になってしまう」
「そうではなく、彼が言いたかったのは、社会から押しつけられた『正常』とされる生き方だけではなく、『今の社会に存在しない新しい生き方、他者の愛し方』を自分で積極的に創造して生きていくべきだということ……そういう想いを伝えたくて彼はこの言葉を述べたと捉えるべきだろう」
「その新しい生き方が、古代ギリシアにあったということですか? でも、その時代ってソクラテスやプラトンがいた時代ですよね。さすがに古すぎないでしょうか?」
「いやいや、正義(まさよし)くん、古代ギリシアの知恵を甘くみてはいけないよ。デモクリトスが、顕微鏡もない時代に思索だけで原子論にたどり着けたように、あの時代は、本当に奇跡のような洞察がいくつも生まれている。また、場所は違うが、仏教の開祖の釈迦も同じ時代の人間だ。ちなみに、正義(まさよし)くん、もしキミが仏教―悟りの本質を知りたいと思ったとして、誰の話を一番聞きたいと思うかな?」
「それは……やっぱり、仏教を作った釈迦ですかね」
「そうだ。紀元前の人とはいえ、釈迦の話を聞くのが一番適切だと思うだろう。では、哲学や倫理学、人がどのように生きるべきかを知りたいと思ったら?」
「あ、そうか。ソクラテス」
僕は、『善く生きる』というソクラテスの言葉を思い出した。
「そう、ソクラテス。もしくは、ソクラテスの直接の弟子で、彼の言葉を残したプラトン。この2人が倫理学の開祖なのだから、彼らの洞察にこそまず耳を傾けるべきではないだろうか」
「たとえば、ソクラテスの、『人間は、善や正義をこういうものだと知ったかぶるのではなく、知らないという立場から始めなければならない』という『無知の知』。そして、『善や正義は固定された書き言葉で表してはならない、対話の中で本人がその瞬間に見つけるものだ』とした対話術。これらのソクラテスの洞察には、最新の倫理学であろうと決して見逃せないものが含まれているのではないだろうか」
(本原稿は、飲茶著『正義の教室 善く生きるための哲学入門』を編集・抜粋したものです)