「30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける?」
ソクラテス、プラトン、ベンサム、キルケゴール、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは?
いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校を舞台にした小説、『正義の教室 善く生きるための哲学入門』が刊行された。「平等」「自由」、そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生のかけ合いから、「正義」の正体があぶり出される。作家、佐藤優氏も「抜群に面白い。サンデル教授の正義論よりもずっとためになる」とコメントを寄せている。本書の内容を一部特別に公開する。
悩みや不安が消えていく、究極の考え方
前回記事『「人間は積極的にゲイになるべき」哲学者フーコーの真意とは?』の続きです。
「プラトンも興味深いことを言っている。正義(まさよし)くんは、イデア論を覚えているかな?」
イデア論。イデアとは、アイデア―つまり概念のことで、イデア論とはその概念が人間が生まれる前から世界に存在していたとする理論のこと。
僕はこくりと頷いた。
「プラトンは、『最上のイデア』『イデアの中のイデア』―つまり、『概念(イデア)そのものを成立させているもっとも根本的な概念(イデア)は何か』―という問いに対して、それが『善』だと答えている」
「善ですか?」
「そうだ。考えてみれば不思議ではないだろうか。愛とか、神とか、いくらでも他に答え方はあっただろうに」
「そうですね。たしかに当時なら『神』とか言いそうですよね。もしくは、最上のイデアは『愛』だ、というのもイメージ的には良さそうに思います」
「そう。だが、プラトンは、そこを神でも愛でもなく、『善』だと言い切った。でも、よく考えてみればその通りではないだろうか。実際、我々が何かを概念化するとき、その概念化を『善い』と思うからこそ、それを概念として認めるのではないだろうか」
…………??
一瞬、頭がはてなで埋め尽くされる。
あらゆる知的活動は、『真である』『正しい』という概念の上に成り立っている
が、そこで僕は、倫理の最初の授業で先生が言っていた言葉を思い出した。それは―結局、何をどう思おうと、その考えを「正しい」と思うからそう思っているのだ、ということ。
「先生が、最初の授業で言っていたことですよね」
ほう、と先生は顔をほころばせた。
「そうだ。仮に全然考え方が異なる人間がいたとしても、それこそ宇宙人であったとしても、知的に『考える』生命体であるならば、そこには必ず『真である』『正しい』という概念の基盤が存在する」
「なぜなら、考える、思考するとは、つまるところ、何らかの理論を『真である』『正しい』と主張することであり、そういう形でしか起こり得ないからだ。たとえば、数学だって、論理学だってそうだろう?『真』という概念が前提としてなければ、どんな数式も、どんな命題も成立しようがない」
たしかにそうかもしれない。というか、『真』という概念がないなら、学問自体、やる意味がなくなってしまう気もする。
「つまり、あらゆる知的な活動は、『真である』『正しい』という概念の上に成り立っていると言えるわけだが、では、この『正しい』という概念を『正しい』とさせている上位の概念は何だろうか? 私は、その概念こそが『善い』だと思う」
「『善い』の方が『正しい』よりも上位なんですか?」
あまりピンとこなかった。
「じゃあ、正義(まさよし)くん、キミにとって正しいとはどういうことかな?」
「それはまあ……『現実と一致すること』とか……『矛盾してないこと』とかですかね。もし、これらの条件を満たしている数式や理論があったら、僕は『正しい』と判断すると思います」
「なるほど。では、なぜ、その条件を選んだのかな?」
「それは、えっと……あ」
「『現実と一致すること』『矛盾してないこと』が善いことだと思ったからではないかな?」
「そうです、そうです」
図星だったので、僕は思わず何度も頷いた。
人間の思考は、『善い』を前提に成り立つ
言われてみれば、その通りだ。それらを正しさの条件に持ってきたのは、それらが『善い』と思ったからだ。
「そう。だから、『正しい』という概念は、実は『善い』という概念が基盤になっているのだ。だとすると、あらゆる人間の思考は、『善い』を前提として成り立っているということになる。すなわち、『我思う、故に、善あり』」。
「何をどう思おうと―たとえその内容が疑いであったとしても―その思いを『善い』と価値判断しているという事実自体は決して疑うことはできない。つまり、我々が、何かを考え、何かを疑い、何かを悩んでいるとき、そこには『善』、そして『善を目指す意志』が必ず存在しているのだ。その原理を信じて出発点としない限り、どんな倫理学も、どんな文明も、始まらないのではないだろうか」
と、そこでまた再びチャイム―次の授業の予鈴が鳴り響いた。
「私が言いたいことは、こんなところかな……。質問に答えられなくてすまなかったね」
そう言って先生は残念そうな顔をしたが、僕は満足感に包まれていた。直接的な回答はもらえなかったかもしれないが、それでも先生の話は、僕の中である決意をさせるのに十分なものであったからだ。
「いえ! ありがとうございました!」
僕は大きな声で頭を下げ、その場をあとにする。
(本原稿は、飲茶著『正義の教室 善く生きるための哲学入門』を編集・抜粋したものです)