円安はどこまで進むのか? 元日本銀行金融研究所所長で、『金利と経済――高まるリスクと残された処方箋』などの著書もある翁邦雄氏に、政府・日銀は現在の急激な円安に対してどのような対処をしうるのか、円安はどこまで進みうるのか、などをまとめた緊急寄稿を寄せてもらった。

【元日銀金融研究所所長・翁邦雄氏に聞く】円安はどこまで進むのか?「後出しじゃんけん」になっている日銀の言い分円安はどこまで進むのか?(Photo: Adobe Stock)

 急激な円安が進んでいる。

 これに対し、政府・日銀は、そろって懸念を示している。1ドル=134円台とおよそ20年ぶりの円安・ドル高水準に下落した6月10日、財務省・金融庁・日銀は、国際金融資本市場に関する情報交換会合を開き、「急速な円安の進行が見られ、憂慮している」との声明文を出した。さらに、一時1ドル=135円台になった6月13日には松野博一官房長官も「急速な円安の進行が見られ、憂慮している」と記者会見で述べている。

為替相場の安定と独立の金融政策は二者択一

 それでは、政府・日銀は円安にどのような対処ができるのだろうか。

 それを考える出発点になるのが、国際金融論における中心的命題のひとつである「国際金融のトリレンマ」である。

 これによれば、①独立した金融政策、②安定した為替相場、③自由な資本移動、の3つは原理的に同時に実現できない。各国は、この中から2つを選ぶ必要がある。

 このため、自由な資本移動を前提とする先進国は、為替相場の安定をあきらめて独立した金融政策を選び、発展途上国では、しばしば、自由な資本移動をあきらめて為替相場を固定しつつ、独自の金融政策を行おうとする。

「国際金融のトリレンマ」に照らして考えると、先進国間の為替相場の安定は偶発的な状態でしかない。

 日銀の黒田東彦総裁は5月20日の記者会見で「経済を下支えし、基調的な物価上昇率を引き上げていく観点から、現在の強力な金融緩和を粘り強く続けていくことが適当だと考えている」と見解を述べた。日銀が指値オペを活用するなど金利抑制に躍起になっている一方、米国では、労働省が先週発表した5月の消費者物価上昇率が市場予想を上回っており、根強いインフレを抑えるために米国連邦準備制度が利上げテンポを速めるのではないか、との見方から長期金利は上昇している。

 日米の金融政策の方向が正反対である以上、為替相場が円安方向へ変動するのは必然的である。

介入政策では円安は止められない

【元日銀金融研究所所長・翁邦雄氏に聞く】円安はどこまで進むのか?「後出しじゃんけん」になっている日銀の言い分翁 邦雄(おきな・くにお)
1951年東京生まれ。1974年東京大学経済学部を卒業し日本銀行入行。1983年シカゴ大学Ph. D.取得(経済学)、筑波大学社会工学系助教授、日本銀行金融研究所長、京都大学公共政策大学院教授などを経て、現在―大妻女子大学特任教授、京都大学公共政策大学院名誉フェロー。専攻は国際経済学、金融論。著書に『期待と投機の経済分析――「バブル」現象と為替レート』(東洋経済新報社、日経・経済図書文化賞受賞)、『ポスト・マネタリズムの金融政策』(日本経済新聞出版社)、『金融政策のフロンティア――国際的潮流と非伝統的政策』(日本評論社)、『日本銀行』(ちくま新書)、『経済の大転換と日本銀行』(岩波書店、石橋湛山賞受賞)、『金利と経済――高まるリスクと残された処方箋』(ダイヤモンド社)など。最新刊は、『人の心に働きかける経済政策』(岩波新書)。

 それでは、金融政策ではなく、介入政策で為替を安定化させることは可能だろうか。

 日本経済新聞によると、神田眞人財務官は、上記の会合後、為替介入も念頭に「あらゆるものを含めて適切な対応をとる」との考えを記者団に示し、海外の通貨当局との協調介入も含まれるかとの問いには「あらゆるオプションを念頭に置いて機動的に対応する」と説明した、という。

 しかし、基本的に介入では為替相場の大きな流れを変えることはできない。それでも、通貨当局は、自国通貨高に対しては、ある程度は戦えるが、自国通貨安に対する介入は敗北必至である。

 こうした非対称性が発生する理由は、介入に必要な売却資産の違いによる。自国通貨高の場合、通貨当局は一定の為替相場で自国通貨を無制限に売って外貨を買うことで、為替相場を守ることができる。

 実際、スイスは2011年9月、1ユーロ=1.2スイスフランを上限に無制限にスイスフランに売り応じる無制限介入に踏み込み、この枠組みを維持している間、スイスフランの安定を保つことに成功した(ただし、その際、金融政策も最大限の緩和でスイスフラン高に立ち向かっており、金融政策と反対方向の介入が行われたわけではない)。

 これに対し、自国通貨安では、外貨を売る必要がある。しかし、通貨当局の外貨売り介入は、自国の外貨準備高に制約される。基本的に一国の外貨準備で投機筋と立ち向かうのは無理である。

 以上の点を踏まえた結論として、円安に対して通貨当局の介入で立ち向かうことは現実的でなく、やはり金融政策運営の問題を避けては通れない

「後出しじゃんけん」になっている日銀の言い分

 黒田総裁は就任記者会見で「2%の物価目標をできるだけ早期に実現するということが、日本銀行にとって最大の使命」との姿勢を示し、そのために採用したのが異次元緩和であった。このため、インフレ率が2%を超えているのに、円安を促進する金融緩和を続けているのは、おかしいのではないか、という見方もある。

 しかし、金融政策のあり方について一般論としていえば、2%を超えたから金融引締めに転換すべき、ということには必ずしもならない。日銀法では第2条で、

「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」

 としている。このような意味での「物価安定」が2%の消費者物価上昇率と対応するとは限らない。あるときには2%をかなり上回ることも、下回ることもあり得る。特に、原油ショックのような供給ショックで物価が上昇するときに金融を引き締めると、景気悪化を加速する可能性がある

 ただし、ここにきて、日銀が「悪いインフレ論」を掲げ、金融緩和の修正を否定するのには、「後出しじゃんけん」の印象があることも否めない。

 そもそも、リフレ論者は「良いデフレ/悪いデフレは存在しない」「インフレ率を上げることが至上命題」との立場をとってきた。黒田総裁も、2014年には原油価格低下という交易条件改善をもたらす「良いデフレ・ショック」に際して金融緩和で対応し、物価への影響を打ち消そうとしてきた。

 座標軸の一貫性が失われていることが、日銀の金融政策をわかりにくくしている

円安はどこまで進むか

 急激な円安が進んでいる現状では、当然、円安はどこまで進むのか、という点に関心が集まる。本稿依頼の質問項目にもそれは含まれていた。多くのマーケット・エコノミストがこれに具体的な答えを示そうとしている。しかし、これは原理的に難問である。

 理由は幾つかある。ひとつは「アンカー」との関係である。資産価格には判断基準となる理論値があり、これをアンカーとよぶ。実際の市場価格は理論値から大きく乖離しない場合、「アンカーは強い」といえる。

 しかし、理論値が市場価格を引き戻す力が弱いアンカーもある。為替相場のアンカーとしてよく用いられる通貨の購買力(購買力平価)は弱いアンカーの代表で、為替相場はきわめて長期間、購買力平価から乖離することが知られている。代わりに短期の為替相場を動かすのは金融資産間の投機・裁定取引で、これは将来の為替相場の予想に依存する。予想に依存することで、為替相場は自己実現的予言の影響を受けやすく、しばしば大きな行き過ぎも起きる。

 なお、円相場の変動について特に注意すべき円安要因として、日本の金利がイールドカーブ・コントロールにより凍結されている影響で財政危機など日本への不信・不安のシグナルは国内金融市場では表面化しにくいことが挙げられる。この場合、シグナルを出せる金融市場は外国為替市場になる。「日本売り」のシグナルとしての円安は、頭の片隅に置いておく必要があるだろう。

【訂正】記事初出時より以下のように修正しました。「黒田総裁も、2015年には原油価格低下という交易条件改善をもたらす「良いデフレ・ショック」に際して金融緩和で対応し、」を「黒田総裁も、2014年には原油価格低下という交易条件改善をもたらす「良いデフレ・ショック」に際して金融緩和で対応し、」に修正しました。(2022年6月23日午後11時20分 書籍オンライン編集部)