チェンジメーカースキルの土台は「エンパシー」
渡邊:私たちはチェンジメーカースキルを、新しい時代に生きる若者に欠かせない能力として20年あまり提唱してきましたが、それはアショカだけではなく、OECDでもインターナショナルバカロレアでも同じことを言っています。その能力があるかないかで、まったく違う人間になってしまいますし、その能力がないと日本は世界から置いていかれてしまいます。
なぜなら、エンパシーがないと、自分以外の人が何を問題に感じているかわからないからです。そう思いませんか? データで知るのではなく気持ちで知らなければ何も始まらない。エンパシーは、グローバル市民として生きる上の最低必要な能力だと思います。
子どもでも、エンパシーが高くなると、あの子は学校でも仲間外れになりがちで、家庭に何かあるらしいなどと感じるようになるんですよ。じゃあ何ができるか。周りと話してみる。すると、同じように思ってる子が見つかる。そこから、チームビルディングが始まります。
「何かできないかな、じゃあ二人何ができるか考えてみよう」
「まず、お弁当の時間にあの子を呼んで三人で食べてみよう」
これがアクションです。そこから「これは無理だったから、こっちをやってみよう」と改善していく。チェンジメーカースキルとは、この一連の、たいへんに洗練された高度なスキルなのです。小さいことでもいい。この場合は「この寂しそうな子を助けたい」という気持ちが本物なら、必ず大きくなっていくから。その能力を子どもの優秀度を測る基準に入れましょうと提案しているのです。「チェンジメーキング」をしているプロセスで、非認知能力が引き出され心が豊かになっていきます。「非認知能力」とは、 やる気とか、情熱とか、倒れたら起き上がる力など計測できない力のことです。
中原:それを定量的に見ようということですか。
渡邊:入学のとき、入社のときなどに「あなたのチェンジメーカースキルを教えてください」という新しい基準をつくるのが、理想です。そうすれば、その人のいろいろなことがわかりますね。そんなこと考えたこともない人は、1行も書けない。今は少し流行になっているから、辻褄が合うように書く人もいると思いますが、1ぺージは書けても10ページは無理でしょう。すでに、入学試験や入社試験で取り入れているところもあると聞いています。
ASHOKA JAPAN創設者&代表/写真家
慶應義塾大学文学部英文学科卒。1980年ニューヨークにて写真家としてスタート。SHISEIDO InternationalやLANCOMEなどの広告写真を手がける一方、仏VOGUE, 米TIME、米SONY MUSICなどでファッションやポートレートを撮影。87年アメリカンフォトグラファー誌より年度賞を受賞。1998年より商業写真から自分の作品づくりに方向を変え、個展、グループ展を開催。
1998年東京への里帰りの折、1980年半ばから7年余り続いた経済繁栄期が崩れたあとの後遺症とも言える社会現象を目の当たりにする。毎日のように報道される自殺者や引きこもり者の夥しい数。電車の中でも町なかでも目に入る思いつめたような暗い表情の人たち。ちょうどその年に「社会をより良くする」と「財政的な利益を生む」という二つの要素をもつ新しい働き方+生き方である「ソーシャルアントレプレナシップ」がニューヨークの最先端で注目を集めていることを知る。この新しい働き方が、親世代のロールモデルを失くした日本の若者の指針になるかもしれないという直感にもとずいて社会をより良く変える仕事をしている人たちのインタビューを始める。2000年〜2005年に約135人をインタビューしPEN誌に紹介する。うち一部を2005年『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』、2007年『社会起業家という仕事 チェンジメーカー2』として上梓。2009年米ワシントンのASHOKAの門を叩き日本拠点の可能性を打診。2011年の発足に導いた。