「懐かしい場所」が心を癒す

【精神科医が教える】「もう前に進めない…」と感じたときにできる心の休め方とは?Photo: Adobe Stock

ーー慣れ親しんだ場所に行くと、気持ち的にも安らぎそうですね。

川野:はい。特定の場所で過ごすことで気持ちが落ち着くのは、「安心して過ごすことができた過去の記憶」とひもづけられてるからです。

ーー「過去の記憶」とひもづけられる?

川野:はい。「懐かしい」と感じるのは自分がそこに所属していた、ご縁の中にいたという確かな記憶を、温かなイメージとともに想起することができるからなんです。

 私たち人間の存在は、記憶によって形づくられていると言っても過言ではありません。

「私はどこで生まれてどこで育って、どんな経験をしてきて、何が得意で、何が苦手で、性格はこんなふうで……」といった自分自身の「物語」は、すべて記憶によって構築されたものだからです。

 そして、私たちは非常に高度な記憶機能を脳に備え持っていますから、理論的にはどんな記憶の断片も自由に取り出すことができます。

 もちろん、心の状態や脳の働かせ方によって取り出しやすい記憶とそうでない記憶、あるいは意図せずに現れる記憶など色々なバリエーションはありますが。

 記憶のどこかに温かな体験、心安らいだ体験を持ってさえいれば、本当はさみしくないとも言えます。

 それなのに、今置かれた状況と自らの状態だけで自分の存在を評価しようとしてしまう、言い換えれば自分自身を「ジャッジ」してしまうために、自分はさみしい人間なんだ、と思ってしまったりします。

 実は温かな記憶がひとひらでもあれば、その記憶とともにいつでもつながりを感じることができるんですね。

ーーなるほど。どんな状況でも温かな記憶とつながれば、心を癒せそうです。

川野:はい。このような周りとつながるような感覚、「今、世の中のすべてのものと自分はつながっている」ということを、仏教では「諸法無我」あるいは「縁起の法則」という真理から説いています。

 ご縁はどんな人にも、どんな時にも絶対にあるのに、時として私たちは「自分は孤独だ」と思い込んでしまったりします。そんなときは、たとえ遠い過去の記憶であっても、温かなご縁に恵まれていた自分に立ち返ることができます。

 幼い頃や若い頃に大好きだった本をもう一度手にしてみるというのも、心に温かな栄養を与える方法のひとつだと思います。

 私も幼稚園時代に母親に買ってもらった1冊の本を、今でも自分の部屋の本棚の片隅に置いています。五味太郎さんが書いた『がいこつさん』という絵本なのですが、たまに読み返すと懐かしくてすごく元気をもらいます。

ーー子どもの頃に読んだ絵本、手元に置いておくと元気になりそうですね。

 最後に、限界突破するまで働いてしまいがちなダイヤモンド・オンライン読者の方に心が復活するメッセージをお願いします!

川野:もし、今いる場所が苦しい方は、まずその場から離れてみることを考えてください。

 たとえ1週間でも3日間だけでもいいですから、誰に何を言われても休みを取ってください。そして、今置かれたこの環境が本当に自分と大切な人たちの幸せにつながっているのか、考えていただきたいのです。

 それから、昔住んでた場所や遊びに行った場所に、ふらりと行ってみてはいかがでしょうか。あるいは、小さい頃に大好きだった、懐かしい本を手に取ってみましょう。

 私たち人間の持つ心のエネルギーは無限ではないですし、時には精神的なストレスで極限の状態にまで追い詰められ、生きていくための気力が尽きてしまうことだってあります。

 組織や周囲の環境というしがらみにしばられた自分ではなく、ただひとりの人間として立ち返る時間を少しでも持ってみる。そして、そんな自分の「心の声」に耳を傾けていただけたらと思います。

川野泰周(かわの・たいしゅう)
精神科・心療内科医/臨済宗建長寺派林香寺住職
精神保健指定医・日本精神神経学会認定精神科専門医・医師会認定産業医。
1980年横浜市生まれ。2005年慶應義塾大学医学部医学科卒業。臨床研修修了後、慶應義塾大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。2011年より建長寺専門道場にて3年半にわたる禅修行。2014年末より横浜にある臨済宗建長寺派林香寺住職となる。現在寺務の傍ら都内及び横浜市内のクリニック等で精神科診療にあたっている。
うつ病、不安障害、PTSD、睡眠障害、依存症などに対し、薬物療法や従来の精神療法と並び、禅やマインドフルネスの実践による心理療法を積極的に導入している。またビジネスパーソン、医療従事者、学校教員、子育て世代、シニア世代などを対象に幅広く講演活動を行なっている。
主な著書に『会社では教えてもらえない 集中力がある人のストレス管理のキホン』(すばる舎)、『半分、減らす。「1/2の心がけ」で、人生はもっと良くなる』(三笠書房)、『精神科医がすすめる 疲れにくい生き方』(クロスメディア・パブリッシング)、『「精神科医の禅僧」が教える 心と身体の正しい休め方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。