2013年4月から始まった異次元緩和に代表されるアベノミクス。第一の矢である大胆な金融政策と第二の矢である機動的な財政政策で、消費者物価上昇率は14年3月には前年同月比1.6%にまで上向いた。特集『安倍晋三 レガシーの検証』(全9回)の#2では、アベノミクスのブレーンであった本田悦朗・TMI総合法律事務所顧問にアベノミクスを総括してもらった。本田氏は「14年4月の消費税率引き上げがなければ2%の物価目標を達成できていた」と振り返る。(聞き手/ダイヤモンド編集部編集委員 竹田孝洋)
アベノミクスのブレーン
本田悦朗氏が赤裸々に総括
――約8年間にわたるアベノミクスの原点は何ですか。
デフレからの脱却が最優先ということが原点だった。デフレの原因は需要不足だ。需要を拡大すればGDP(国内総生産)の成長率も回復し、将来の見通しも徐々に良くなり緩やかなインフレも起こってくる。
そのためにデフレマインドからインフレマインドへの転換をすることが大事だ。それをやり遂げようというのがアベノミクスだった。
――アベノミクス開始に当たって安倍晋三元首相とはどんな話をしたのですか。
最初の安倍元首相との議論のテーマは政策の根本になる目標を決めることだった。それが2%の物価目標。目標を達成するために日本銀行に国債を大量に購入してもらい、マーケットに大量の資金を流し、財政も積極的に出動してもらおうと考えた。
第三の矢である規制緩和など成長戦略は、第一の矢である大胆な金融緩和と第二の矢である機動的な財政政策で増やした需要を中長期的な成長につなげるものだ。
――まず、為替や株価がアベノミクス開始に反応しました。
2012年12月に安倍氏が総理大臣になる前に、アベノミクスの枠組みを説明したときから、為替は円安に振れ始めた。株価も上がり始め、期待の変化が起こり始めた。
そして、13年4月に黒田東彦氏が日銀総裁に就任し、異次元緩和を開始した。消費者物価上昇率はマイナスからプラスに転じ、14年3月には前年同月比1.6%まで上昇した。失業率も低下し、4%を割り3%台が定着した。
黒田総裁以前の日銀は金融を引き締めて物価を抑制することはできるが、緩和で物価を上げることはできないと言い訳をしてきた。しかし、物価目標、インフレターゲットを設定し、インフレへの期待を変えることで物価に影響を与えることができた。
――しかし、消費者物価上昇率は2%に達しませんでした。
14年4月の消費税率引き上げを機に消費者物価上昇率は低下していった。次ページからは、引き上げ前に本田氏が安倍元首相に伝えたこと、引き上げがなかった場合の2%達成時期などについて触れてゆく。