「なぜ私はここに存在するのか?」を突き詰めるということ

 なぜならば、そこには社会に対して、あるいは顧客に対して、どのような価値を創造・提供していくかがまったく示されず、いかに自分たちが「勝っていくか」しか述べられていないからである。

 これは広告会社の地位を高めたい、そして、その広告業界の中で圧倒的な業績を出して電通の地位を盤石のものとしたい、という自己実現欲求に取り憑かれた経営者が、社員に望む結果を出させるための「手段」=何をどのようにするか? すなわち「HOW」や「WHAT」を提示したものに過ぎないからだ。

 これは、古い価値観だからゴミ箱の中に捨てろ、と言っているわけではない。繰り返し言うが、これは単なるハウツーでしかないから問題なのだ。しかも、経営者の自己実現欲求をかなえるために社員を動かす「HOW」や「WHAT」を金科玉条にしたものに過ぎない、ということが問題なのだ。

 しかし、案外そのことに気づかないで、「鬼十則」を賞賛する人が未だに多いことが問題の根深さを示している。

 広告会社は現在、かつての商社不要論と同様に、その存在価値を問われる時代に来ている。既に広告主はグーグルやフェイスブックといったプラットフォーマーとの直接取引が可能となっており、その間の「川中」に立っている広告会社が提供できる価値はもはや不明だ。

 自社の価値は何なのか? それを自ら考え、答えを提示できる広告会社は果たしてどれくらい存在するのだろうか? これは広告業界に限った話ではない。

 自社が提供できる価値は何か? 過去のリーダーが指し示した「HOW」や「WHAT」にしがみつくのではなく、自らの存在価値について、自ら考え、答えを提示できない企業はもはや消え去るのみだ。

 自らの存在価値とは何か? というのは、別の言い方をすると「なぜ私はここに存在するのか?」ということである。つまり、「WHY」を突き詰めることである。