早とちりや事実誤認といった「思考のエラー」は、誰にでも起こりうる。だからこそ、「情報をいかに正しく認識し、答えを出せるか」で差がつく。そのためには「遅く考える」ことが必要だ――そう説く一冊が、哲学者の植原亮氏による新刊『遅考術』だ。
私たちの日常のなかで、「遅く考えるスキル」がとりわけ大きな意味を持つのが「医療情報」を収集するときだ。人はなぜ、医療にまつわるデマや似非科学にやすやすと騙されてしまうのだろうか?
今回は、『すばらしい人体』の著者であり、外科医けいゆうとしてネット上で精力的に医療情報の発信を行う山本健人氏をゲストに迎え、「自分で深く考えられる人」と「怪しい情報に惑わされる人」の違いについて植原氏と語り合ってもらった。
一般書ながら学問的な高みも目指せる一冊
――山本先生は、植原先生の『遅考術』をどのように読まれましたか?
山本健人(以下、山本):まず、たいへんよく整理整頓されているな、という印象を持ちました。
私自身、行動経済学や心理学に関する本もよく読みますので、ここで書かれているようなバイアスなどについてもあちこちでかじったことがあるのですが、そういった知識が非常にわかりやすく整理されていて、とても頭に入ってきやすい。
かつ、対話形式で書かれていて敷居が低く設定されているのに、到達点としてはかなり高い学問レベルを目指している点が、よくある「学問的な内容をわかりやすく解説した本」とは一線を画しているなと感じました。その意味でも、幅広い層に読まれるべき本だと思います。
私が本を書くときも、専門的な内容を一般読者に向けてわかりやすく伝えようとする一方で、単なる「雑学本」で終わってほしくはないという思いがあります。植原先生のご本にも、同じような思いが込められているのではないかと想像しました。
植原亮(以下、植原):ありがとうございます。とても嬉しいご感想です。私のほうでも、山本先生のご本とのあいだに共通点を感じる部分がありました。
山本先生の『すばらしい人体』は、人体のしくみの解説を通して、読者が自分自身を理解できるように書かれていますよね。たとえば、体のどの部位がどんな働きをしていて、そこにどんなエラーが起きたときに病気や怪我といった現象が起きるのか……。こういったしくみを知ることで、読者の自己理解が深まっていく。
ひるがえって、私の『遅考術』では、人体の中でもとりわけ「頭」の働きを扱いました。そこでも、われわれの思考がどのようなあり方をしていて、どのようなときにエラーが起きるのかを示そうとしています。ここに同じ、人間の自己理解をもたらすという共通性を見た思いがしました。
もうひとつ、『すばらしい人体』では医学の歴史にもページを割かれていますね。人類が営々と蓄積してきた知識の広がりを示そうとしている点でも、私の本と思いを同じくしているように感じます。
「まずは一旦、保留する」ことの大切さ
――山本先生は、「遅く考えること」が医療情報を得る際にどのように役立つと考えておられますか?
山本:以前、NHKの番組に出演したときに、「ネット情報を見極める7つのポイント」というものをディレクターと一緒につくったことがあります。(※)
だ:誰が言っている?
し:出典はある?
い:いつ発信された?
り:リプライ欄(返信欄)にどんな意見?
た:たたき(攻撃)が目的ではない?
ま:まずは一旦 保留しよう
ご:公的情報は確認した?
頭文字をとって、出し巻き卵ならぬ「だしいりたまご」と名付けているのですが、なかでも一番大切だと思っているのが「まずは一旦、保留しよう」なのです。
とりわけSNSに顕著なのですが、一見正しそうに見える情報をすぐにシェアしたり、リツイートしたりする人が多く、それが誤情報の拡散に繋がっているという現状があります。
『遅考術』でも、「いきなり結論を出さずに粘り強く考えよう」とか「条件を何度も確認してみよう」といったことが繰り返し書かれていますが、そのメッセージには非常に共感するものがありました。
植原:「だしいりたまご」、すばらしいフレーズですね。
山本:ありがとうございます。『遅考術』には、私たちが陥りやすい思考の罠もたくさん紹介されていますが、医療情報を収集する場面で参考にすべきものも多いですね。
レッスン6で解説されている「確証バイアス」などは、その最たるものでしょう。
やはり人は、自分が信じていることや信じたいことの「正しさ」を証明するような情報にばかり注目したがる。そういう作業を、情報収集のときに無意識に行ってしまうわけです。
とりわけ医療情報の場合、なんらかの不安にかられて情報収集をしている患者さんが多いので、どうしても自分にとっての安心材料を集めようとしてしまいます。自分としてはニュートラルに情報を収集しているつもりが、どこかで自分の背中を押してくれるような情報を無意識に探しているようなところがあるのです。
誤った知識は「健康を害する」原因にも
山本:もうひとつ、大好きな話はレッスン10。挙げられている例が、実際の医療健康に関わることが多い。ワクチンをはじめとして、健康食品や喫煙などが紹介されています。
その中でも、多くの患者さんが参加した臨床試験から得られた、エビデンスの十分にあるデータよりも、個人の体験談のほうに説得力があるように思えてしまうことは印象的でした。
情報の重み付けにおいて大きなエラーが起こってしまうのは、これまた情報収集における障壁になると思うんですね。このあたりがやっぱり先生の本で、学ぶべきことなんじゃないかなと思うところです。
――その点、この『遅考術』ではより現実に即した事例を盛り込もう、という意図があったのでしょうか。
植原:アクチュアルな例であると同時に、いまメディアに現れやすい事例であるということでもあります。
健康食品のようなものの扱いをどう考えるかだけでなく、今回のコロナ禍という状況で明らかになったように、薬やワクチンの働きについての理解が、必ずしも一般的には正確ではないわけです。今回扱いたかった題材と、世間の関心事が自然と重なっていったということになりますね。
こうした話題は、陰謀論や疑似科学に結びつきやすいトピックでもあります。また、たとえば、物理学上の疑似科学よりも、医学的な疑似科学のほうが実害、それから社会における広がりも大きい。そこで実際にある種の歯止めになるような、そういった本になればいいな、と思っています。
1978年埼玉県に生まれる。2008年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術、2011年)。現在、関西大学総合情報学部教授。専門は科学哲学だが、理論的な考察だけでなく、それを応用した教育実践や著述活動にも積極的に取り組んでいる。
主な著書に『思考力改善ドリル』(勁草書房、2020年)、『自然主義入門』(勁草書房、2017年)、『実在論と知識の自然化』(勁草書房、2013年)、『生命倫理と医療倫理 第3版』(共著、金芳堂、2014年)、『道徳の神経哲学』(共著、新曜社、2012年)、『脳神経科学リテラシー』(共著、勁草書房、2010年)、『脳神経倫理学の展望』(共著、勁草書房、2008年)など。訳書にT・クレイン『心の哲学』(勁草書房、2010年)、P・S・チャーチランド『脳がつくる倫理』(共訳、化学同人、2013年)などがある。
山本健人(やまもと・たけひと)
2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)
外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は開設3年で1000万ページビューを超える。Yahoo!ニュース個人、時事メディカルなどのウェブメディアで定期連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー10万人超。著書に16万部突破のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』『がんと癌は違います~知っているようで知らない医学の言葉55』(以上、幻冬舎)、『医者と病院をうまく使い倒す34の心得』(KADOKAWA)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。
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公式サイト https://keiyouwhite.com