早とちりや事実誤認といった「思考のエラー」は、誰にでも起こりうる。だからこそ、「情報をいかに正しく認識し、答えを出せるか」で差がつく。そのためには「遅く考える」ことが必要だ――そう説く一冊が、哲学者の植原亮氏による新刊『遅考術』だ。
私たちの日常のなかで、「遅く考えるスキル」がとりわけ大きな意味を持つのが「医療情報」を収集するときだ。人はなぜ、医療にまつわるデマや似非科学にやすやすと騙されてしまうのだろうか? 
今回は、『すばらしい人体』の著者であり、外科医けいゆうとしてネット上で精力的に医療情報の発信を行う山本健人氏をゲストに迎え、誰にでもおこりうる「思い込み」の対処法について植原氏と語り合ってもらった。

遅考術Photo: Adobe Stock

「自分のことは自分が一番よく知っている」の罠

山本健人(以下、山本):遅考術』には、私たちが陥りやすい思考の罠もたくさん紹介されていますが、医療情報を収集する場面で参考にすべきものも多いですね。

たとえば、レッスン3に出てくる「利用可能性バイアス」は非常に重要です。

利用可能性バイアス:記憶から呼び出すのが容易なもの(つまり利用可能性が高いもの)のほうが、そうでないものに比べて実際に起こる確率が高く、発生件数が多いと捉えてしまうこと。

植原先生は、「自分自身についてのことや、自分が経験したことに関しては、本人はどうしても利用可能性が高くなって、バイアスも発生しやすくなる」と書かれています。この部分を読んでいて、確かにそうだなと思いました。

患者さんとしては、自分の身体のことは自分が一番よくわかっているんだ、という思いがあります。それが、結果的に正しい情報にたどり着く障壁になってしまうこともある。そのあたりが、『遅考術』のなかでとりわけ印象に残ったところです。

植原亮(以下、植原):ありがとうございます。そういったことを、なるべく柔らかく伝えようと、『遅考術』では対話編をとりました。

この本のようにクイズ形式にすれば、引っ掛かったとしても、あるいはバイアスに陥っていることを自覚したとしても、それほどショックを感じません。「ああ、引っ掛けクイズにやられたな」程度の感覚だと思います。

ただ、そこから一歩深めて、賢い人であろうと誰にもこういったことが起こるんだというところまで考えてもらえるようにしています。

どんなに賢い人にも「思い込み」はある

――バイアスに引っ掛かからないようにするためのアドバイスはありますか?

山本:「人間とはバイアスに陥りやすいものなんだ」と自覚することでしょう。第一歩は、そこから始まると思います。

前回の「確証バイアス」や先ほどの「利用可能性バイアス」にしても、名前がついているぐらい有名な現象なのだから、誰しもこうした思考の罠に陥って、誤った結論に至ってしまう可能性がある。そのことを常に意識したいものです。

植原:知らず知らずのうちにバイアスにとらわれていると認めたくない人もいるかもしれませんが、およそ賢い人でもこういったことは起こるのだという認識を持てば、受け入れやすいのかなと思います。

遅考術』のなかでは、森鴎外のエピソードを紹介しました。陸軍の軍医であった森鴎外は、当時日本軍で流行していた脚気について、細菌感染症が原因であるという説を支持します。

いまではよく知られているように、脚気はビタミンB1不足によって引き起こされる病気ですが、ドイツで結核菌の発見者であるコッホに師事していた鴎外は、あくまで細菌感染症説にこだわり、結果として甚大な被害を生んだのです。

山本:すばらしい人体』の中でも書いたのですが、その時代は、細菌学が医療の最先端だったんですよね。エリート中のエリートの学問というか、医学の中では一番熱い分野でした。

その細菌学を、本場のドイツで学んだという経験と自負が、鴎外の目をくもらせてしまった。確かにこれは、いま考えると「利用可能性バイアス」に近いのだろうなと思いますね。

植原:森鴎外のようなビッグネームでも、自分の信じたいことを信じようとしてしまう。そんな歴史的エピソードに学ぶところは大きいのではないでしょうか。

植原 亮(うえはら・りょう)

1978年埼玉県に生まれる。2008年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術、2011年)。現在、関西大学総合情報学部教授。専門は科学哲学だが、理論的な考察だけでなく、それを応用した教育実践や著述活動にも積極的に取り組んでいる。
主な著書に『思考力改善ドリル』(勁草書房、2020年)、『自然主義入門』(勁草書房、2017年)、『実在論と知識の自然化』(勁草書房、2013年)、『生命倫理と医療倫理 第3版』(共著、金芳堂、2014年)、『道徳の神経哲学』(共著、新曜社、2012年)、『脳神経科学リテラシー』(共著、勁草書房、2010年)、『脳神経倫理学の展望』(共著、勁草書房、2008年)など。訳書にT・クレイン『心の哲学』(勁草書房、2010年)、P・S・チャーチランド『脳がつくる倫理』(共訳、化学同人、2013年)などがある。

山本健人(やまもと・たけひと)
2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)

外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は開設3年で1000万ページビューを超える。Yahoo!ニュース個人、時事メディカルなどのウェブメディアで定期連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー10万人超。著書に16万部突破のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』『がんと癌は違います~知っているようで知らない医学の言葉55』(以上、幻冬舎)、『医者と病院をうまく使い倒す34の心得』(KADOKAWA)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。
Twitterアカウント https://twitter.com/keiyou30
公式サイト https://keiyouwhite.com