早とちりや事実誤認といった「思考のエラー」は、誰にでも起こりうる。だからこそ、「情報をいかに正しく認識し、答えを出せるか」で差がつく。そのためには「遅く考える」ことが必要だ――そう説く一冊が、哲学者の植原亮氏による新刊『遅考術』だ。
私たちの日常のなかで、「遅く考えるスキル」がとりわけ大きな意味を持つのが「医療情報」を収集するときだ。人はなぜ、医療にまつわるデマや似非科学にやすやすと騙されてしまうのだろうか? 
今回は、『すばらしい人体』の著者であり、外科医けいゆうとしてネット上で精力的に医療情報の発信を行う山本健人氏をゲストに迎え、「思考と時間の関係」について植原氏と語り合ってもらった。

遅考術Photo: Adobe Stock

医師の「直観」はいかにして生まれるか

――『遅考術』では「直観」と「熟慮」というお話が出てきました。医療では慎重な「熟慮」による判断が求められるのではないかと思います。その一方で、一刻を争うようなシチュエーションも多々あるのではないでしょうか。そんなとき、直観による判断がモノを言ったりするようなことはあるのでしょうか?

山本健人(以下、山本):それは重要なポイントですね。医療現場では人の命がかかっていて、非常に緊急性の高い場面もあります。そこで100点の正解を得るために1時間悩むよりは、70点か80点かもしれないけど、1分で行動するほうが優先されたりする場面も実はあります。その点で、「直観」が重要だと言えなくもありません。

ただそれは、単純な直観とは別物です。「方法論に基づいた迅速性」とでもいいますか、こういったパターンであれば、この行動がベストですよということを、私たち医師は学んで、それをパターン化して、考える前に身体が動くようにしているわけです。

それは直観と言うよりは、誰かが時間をかけて考えたものです。そうやって先人から得た知識を即座に利用するということなので、自分の直観のみに頼ってオリジナルな動きをするという意味ではありません。そういう場面で何をすべきかが決まっているような感じです。

植原亮(以下、植原):山本先生のおっしゃるように、それは「直観」というよりは「洗練された洞察」といったようなものなのでしょうね。

すでに先行する世代が築き上げた、ある種の思考ツール、あるいは意思決定ツールのようなものですね。そこにもやはり、歴史というものの重要性が感じられます。

「タイパ」時代に読書が必要な理由

――巻末の読書案内や参考文献が充実しているのも、『遅考術』と『すばらしい人体』に共通する特徴のひとつです。近年、本から情報を得るのは時間がかかるので、「タイムパフォーマンスが悪い」と敬遠する人も増えていますが、本を読むことの意義をおふたりはどのように考えておられますか?

植原:何といっても時代と場所、そして文化の異なる人々の声を聞けるというところですね。

私のような仕事をしていると、自分の専門分野に限らず、サイエンスであれ歴史であれ、さまざまな分野の知見を得られるのがたいへん大きなメリットになるのですが、その役割を最も大きく果たしてくれているのが書籍なのです。

本というものは、1冊1冊に、それに先行するさまざまな本の蓄積が集約されているものです。それを私が受け取って、さらに自分にとって有益になるような形で集約して、役立てることができる。そんな活用の仕方ができるのは、書籍ならではだと思います。

山本:私にとって読書とは、自分の中の「天井」を高く上げていくような作業です。

日頃、仕事の現場で何かを提案したり、誰かを指導するときに心に響きそうな言葉を選んだりするとき、そういったものの「天井」は、自分がこれまで読んできた本に規定されていると思うのです。読んでいる量が少ないと、天井が低いので、それより高くはジャンプできない。

別の言い方をすると、これまでインプットした以上のものはアウトプットできない。インプットの量を増やせば、自分の中の思考の天井を上げることによって、より多くアウトプットできるようになる。読書については、そんなイメージを持っています。

すごい名案を思いついたり、すごく冴えた表現を使ったりすることのできる人は、一見すると頭の回転が速い人のようですが、結局のところ引き出しが多くないとそうはなれません

自分の人生を豊かにするという意味でも、本をたくさん読むことによって、天井を上げておく必要があると常に感じています。

植原 亮(うえはら・りょう)

1978年埼玉県に生まれる。2008年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術、2011年)。現在、関西大学総合情報学部教授。専門は科学哲学だが、理論的な考察だけでなく、それを応用した教育実践や著述活動にも積極的に取り組んでいる。
主な著書に『思考力改善ドリル』(勁草書房、2020年)、『自然主義入門』(勁草書房、2017年)、『実在論と知識の自然化』(勁草書房、2013年)、『生命倫理と医療倫理 第3版』(共著、金芳堂、2014年)、『道徳の神経哲学』(共著、新曜社、2012年)、『脳神経科学リテラシー』(共著、勁草書房、2010年)、『脳神経倫理学の展望』(共著、勁草書房、2008年)など。訳書にT・クレイン『心の哲学』(勁草書房、2010年)、P・S・チャーチランド『脳がつくる倫理』(共訳、化学同人、2013年)などがある。

山本健人(やまもと・たけひと)
2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)

外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は開設3年で1000万ページビューを超える。Yahoo!ニュース個人、時事メディカルなどのウェブメディアで定期連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー10万人超。著書に16万部突破のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』『がんと癌は違います~知っているようで知らない医学の言葉55』(以上、幻冬舎)、『医者と病院をうまく使い倒す34の心得』(KADOKAWA)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。
Twitterアカウント https://twitter.com/keiyou30
公式サイト https://keiyouwhite.com