「加工貿易国」という意識から抜け出せなかった

 メルセデス・ベンツもポルシェも、ユーロがどれだけ高くなっても売れる車をつくっています。エルメスやシャネルもしかりです。ユーロ高のときに価格を下げるようなこともしません。海外のハイブランドが持つこうした強気さ、「高くても欲しい」と消費者が思うものをつくろうという気概が、日本企業には欠けていました。その気概を持つタイミングを逸した、とも言えます。

 ひたすらコストカットに励んだ結果、日本経済は成長せず、一転して円安に振れても、そのメリットを生かすことができない体質になってしまったのだと思います。

 これは、「加工貿易国」という意識から抜け出せなかったからでしょう。

 私が子どもだった1960年代ごろ、日本は加工貿易国でした。安い人件費で大量にものをつくって海外に輸出する新興国です。最近までの中国や、今ならばベトナムなども加工貿易国にあたります。

 加工貿易は、通貨が安いときほど盛んになります。逆に言うと、新興国から先進国になり、通貨の価値が上がれば、加工貿易国から卒業するタイミングです。高くても売れるものづくりへと、つくり手が意識を変えなくてはなりません。その発想転換をできた企業が、どれだけあったでしょうか。

 大多数の企業が「良質で安いものづくり」に最大の力点を置き続けたことも、日本経済の停滞を招いた要因だと私は考えています。

 かつて日本製品がアメリカで大量に売れたのは、加工貿易国だった日本が安い製品を輸出していたからです。

「日本製=安い」というイメージは、私がアメリカに留学した1991~94年にはだいぶ変わってきていました。ソニーやホンダは高級品と見なされていたのです。

 当時は、日本で家庭用のビデオカメラが発売された時期です。留学中の私は、周囲の購買傾向を丹念に観察していたのですが、日本の新製品の値段はまだ高いと思われていました。1000ドルまで下がらない限り、誰も買おうとしませんでした。そして、そこまで値段が下がると飛ぶように売れました。品質への信頼は世界最高水準でも、あこがれを持たれるようなイメージはつくれなかったから、大量生産で安くなるまで待とうと思われたのでしょう。

 そのイメージをつくろうという意識が日本人に芽生えていなかったとも思われます。アメリカで売るために値下げをしたのですから。

 その一方で、消費者としての日本人の意識には、「高くても欲しい」いう動機が、購買行動の一パターンとして確実に根づきました。特にバブル期までは、私たちの周りにもそうした商品がたくさんありました。

 しかしそれらの高級品をイメージするとき、パッと思い浮かぶものは海外のブランドでしょう。腕時計やバッグなどの服飾品で、同じくらいの訴求力を持つ日本のブランドは思い当たりません。

 服飾品だけではありません。ダイソンの掃除機も「高額な掃除機など誰も買わない」という巷の予想に反して大ヒットした商品です。日本の消費者にも「高くても欲しい」という気風が残っていたということです。ダイソンはイギリスの会社です。日本の電機メーカーになぜ同じことができなかったのか、歯がゆさを感じずにいられません。