日本人が「自信」を取り戻すようになった理由

 08年には57%になると、なんと13年には83年に迫る勢いの68%、18年には少し落ちるが65%になっている。つまり、NHK世論調査部の言葉を借りれば、「日本の経済力や技術力などが注目された70年代から80年代初め」と同じくらい、令和の日本人は「我々はよその国の人間よりも優れた国民だ」と自信を深めているのだ。

 経済や技術力などで存在感がなくなってきているのに、なぜこうも「日本人は優れている」と思い込めるのか。ここまで言えばもうおわかりだろう、それが「ゴミ拾い」を代表とする精神論だ。

 経済力や技術力などで誇れるものがなくなってきた代わりに、「世界一のゴミ拾い」に象徴される高いモラルや、高潔な精神を、外国人に褒められることを心の拠り所として、それを誇りに感じることで自信を深めている可能性があるのだ。

 繰り返しになるが、筆者は「日本人のゴミ拾いは世界一」という報道を否定的に捉えていない。喜ぶのも、誇りに感じるのも悪くはない。ただ、このような精神論というのは、他国の人はリップサービスや社交辞令も含めて褒めたたえる部分もある。そんなお世辞を真に受けて、あまり大騒ぎをしていると、戦時中のように科学や論理を無視して、精神論ばかりにのめり込んでしまう。それが結局、国家の衰退を招くことになると言いたいのだ。

 例えば、先ほど紹介したように、戦時中は世界中から日本の「大和魂」は称賛された。各国の軍幹部はみな口をそろえて「素晴らしい」「見習いたい」と言ったが、日本のように2000人が玉砕するような戦い方をする国など存在していない。

 それと同じでW杯のスタジアムやロッカールームのゴミ拾いもずいぶん昔から話題になっている。そのたびに外国人が褒めたたえてくれるが、では、日本人サポーターのようにゴミ拾いをする習慣が根付いた国はあるのか。その場のノリで一度や二度、真似をするかもしれないが、日本人が思っているほど世界の「常識」になどなっていない。

 毎度、称賛と大騒ぎをするが、それで終わりなのだ。世界の多くの人は、「珍しい異文化」なので驚き、たたえ、リスペクトをしてくれているだけなのだ。別に、日本の価値観は絶対的に正しいと心から思っているわけではない。我々と同じように、なんだかんだ言って、みな自国の文化や習慣こそが素晴らしいと思っている。「日本は素晴らしい、日本を見習え」と主張している人もいるが、彼らは「全世界の代表」ではなく、ほんの一部の「親日外国人」なのだ。

 こういう冷静な視点を欠くと、日本の衰退は加速していく。

 先ほどの「アッツの大和魂を世界が称賛」報道からほどなく、軍部は「一億玉砕して国体を護る決心と覚悟で国民の士気を高揚し、其の結束を固くする以外方法がない」と主張して、社会のムードは一気に「玉砕」に流れた。その結果、本来ならば死ななくてもいい国民がたくさん命を落としたのはご承知の通りだ。

「日本の○○は世界一」と叫んでうっとりするのも悪くはないが、衰退期に精神論にのめりこむことの恐ろしさだけはあらためて、肝に銘じておいた方がいいのではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)