【最新の認知症治療を実践する脳のカリスマが30年超の長寿研究から導いた幸せな生き方】
2010年代には大ベストセラー『100歳までボケない101の方法 脳とこころのアンチエイジング』で100歳ブームを巻き起こした医学博士・白澤卓二医師渾身の自信作『長寿脳──120歳まで健康に生きる方法』が完成。
人間の限界寿命とされる120歳まで生きる方法を提示します。
現在の脳のパフォーマンスを上げて、将来寝たきりや認知症にならずに長寿を目指す方法論が満載です。
日野原重明先生と三浦敬三さんが気づかせてくれた、長寿の神髄
現在の私は患者さんや入居者さんに接する、いわゆる臨床医ですが、5年ほど前までは健康長寿を手にするための研究に没頭していました。
そんななかで健康長寿研究の一環として、医師の日野原重明先生(享年105歳)やプロスキーヤーの三浦敬三さん(享年101歳)にお会いして話を伺ううちに、論文やデータを読み解くだけでは知ることのできなかった「健康長寿の神髄」を垣間見ることとなったのです。
100歳でも「人の役に立ちたい」と超多忙
内科学を専門とする日野原先生は、100歳を超えても医師として患者さんに向き合い、分刻みのスケジュールのなか、講演や執筆に取り組んでいらっしゃいました。
日野原先生は、20世紀の日本の内科をリードしてきた人です。
高血圧、糖尿病、高脂血症など、当時まとめて「成人病」と呼ばれてきたものを、「成人だから誰でもがなるものではない」として、1970年代から「習慣病」と呼びはじめたのが日野原先生でした。それを受けて1996年には、厚生省(現在の厚生労働省)が「生活習慣病」と改称。今では当たり前に使われている生活習慣病という言葉の生みの親でもあるのです。
1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた日には、当時院長を務めておられた聖路加国際病院を開放して、被害者の救命・治療に取り組まれたことでもたいへん有名です。
あるいは、日野原先生の著書やインタビュー記事などを読まれた方もいらっしゃるでしょう。講演を聞いた方もいらっしゃるかもしれません。
100歳を超えた時点でも数年先までスケジュールが入っていたほど超多忙な生活を長年続け、医療の現場に立ち、全国の小学校で「いのちの授業」を行い、執筆活動も熱心で、「人の役に立ちたい」とおっしゃっていた姿は、私の生き方の手本となりました。
日野原先生がちょうど100歳になられたときにもお会いしたのですが、
「iPadを買ってね、これで原稿に赤字を入れている」
とおっしゃったことは今でも鮮明に覚えています。
年齢に関係なく新しいことを始めるのは、脳に刺激を与える素晴らしいことなのですが、脳のためにとか、ボケないためにではなくて、ごく自然に新しい機器を手にされているところが、いかにも日野原先生らしいなと思ったものです。
長い年月の間で幾度かお会いしたのですが、そのたびに、「私の働き方は今のままでいいのか?」と自問したくなるようなお話をしてくださいました。
私が人生相談を持ちかけたわけではないのですが、日野原先生が発する言葉のひとつひとつに意義があり、信念がありました。「人が人生の質を保ったまま年齢を重ねていくというのは、こういうことなのか」とおぼろげに理解できたのは、日野原先生との面談があったからこそのことです。
それからというもの私は、医師の大先輩である日野原先生を勝手にメンターとして仰ぎ、臨床医として力を尽くしたいと思うに至ったのです。
超人的な身体能力の秘密
三浦敬三さんはプロスキーヤー、登山家、教育家として活躍する三浦雄一郎さんの父で、日本スキー界の草分け的存在です。
還暦を過ぎてから、海外での雪山滑降をはじめ、70歳でヒマラヤ、77歳でキリマンジャロ、88歳でアルプス・オートルートの完全縦走、99歳でモンブラン山系の氷河からの滑降を成し遂げ、100歳のときにはアメリカのスノーバードで親子孫ひ孫の4世代がそろって滑走しました。
敬三さんのすごさは、なんといっても年齢を重ねても強靭な体力を保っていたことです。一般の人が歩くことさえおぼつかなくなる70代以降に、世界の雪山を滑降した身体能力は、常識をはるかに超えています。
驚異的な身体能力の秘密を知りたいと思った私は、研究室を飛び出して、何度か敬三さんのお話を伺うチャンスを得ました。
身体能力を維持するための運動を毎日継続していたことは想像の通りでしたが、食べているものには度肝を抜かれました。
鶏を一羽丸ごと圧力鍋で調理して骨まで食べる、生卵をりんご酢に漬け込んで殻に含まれているカルシウムを存分にとろうとするなど、非常にワイルド。
鶏の骨を食べたり、卵の殻からカルシウムを抽出して飲めばカルシウムの摂取量はケタはずれになりますから、骨を丈夫にすることをかなり意識されていたんでしょう。還暦を過ぎてから世界の名峰をスキーで滑走できたのも納得です。
敬三さんの奥様が亡くなられたときに、息子の雄一郎さんが「同居しよう」と提案したそうですが、敬三さんはそれを断って一人で暮らし、自炊生活を続けたそうです。おそらく、たとえ家族であったとしても、人に邪魔されずに、それまでの暮らし方を貫きたかったのでしょう。
雪山を滑走するために体を整える、そのために必要な栄養素をとるといった生活のルーティーンを何十年も続けることは、並大抵のことではありません。日野原先生と同じように、確固たる信念を持っていらっしゃったのだと思います。
強い信念が生むもの
私は日野原重明先生と三浦敬三さんにお会いするなかで、「こう生きたい」「これを成し遂げたい」という強い信念があれば、「人は脳と体が整うようなルーティーンを、ごく自然に行うようになる」姿を目の当たりにしました。
100年以上を熱く生きられたお二人からすると私などまだまだ若輩者ですが、人が生きる意義について、大いに考えさせられました。
素晴らしい生きざまを見せてくださったことに感謝しています。
※本原稿は、白澤卓二著『長寿脳──120歳まで健康に生きる方法』からの抜粋です。この本では、科学的に脳を若返らせ、寿命を延ばすことを目指す方法を紹介しています。(次回へ続く)
1982年千葉大学医学部卒業後、呼吸器内科に入局。1990年同大学院医学研究科博士課程修了。現在、お茶の水健康長寿クリニック院長。