名選手、必ずしも名監督にあらず。スポーツでも、ビジネスでも、素晴らしいプレーヤーが監督やマネジャーになって思うように結果が出せないことが多々あります。セリーナ・ウィリアムズからディズニー、アマゾン、テスラ、グーグル、NASA…事例満載でアンラーンの全貌がはじめてつかめる本、『アンラーン戦略 「過去の成功」を手放すことでありえないほどの力を引き出す』(バリー・オライリー著、ダイヤモンド社刊)の監訳を行った中竹竜二さんが、そのまえがきでその理由を明かしています。(文:中竹竜二)

名監督Photo: Adobe Stock

名選手が名監督になりにくい理由

 名選手、必ずしも名監督にあらず―スポーツ界ではよく使われる言葉だ。

 どんなに優れた選手であっても、必ずしも優れた監督になれるとは限らない。

 競技で実践する能力と、それを他者が実践できるように指導する能力はまったく異なるからだ。

 ビジネス界でも同様に「トップ営業マン、必ずしも名マネジャーにあらず」と表す。

 立場が変わると求められる能力にも大きな違いが起こることは明らかなのに、そのギャップを認識できない、もしくは認識できたとしても適切な能力を発揮できない。

 仮にプロ野球選手から公認会計士、プロサッカー選手からプログラマーのように大胆に分野や領域を変えれば、求められる能力が違うことに気づきやすい。

 しかし、同じ競技や分野、業界にいながら、立場だけが変わる場合は、想像以上にそのギャップに気づきにくいのだ。

 これは本人だけの問題ではなく、周囲の期待にも原因がある。

 そもそも、人は都合のいい記憶を残しがちで、過去の栄光や称賛を保持したくなるもの。そして、人生のピーク時の記憶をデフォルトに置きがちだ。

 そうした理由からも、まったくフィールドが違うにもかかわらず、それまで積み上げてきた功績やスキルを必殺技のように使ってしまう。

 自分が努力して手に入れたせっかくの財産は普遍的であると信じたい気持ちも後押しし、それらを手放すどころか、固執してしまう。

 実際、コーチ・デベロッパーとしてコーチの成長支援を行うなかで、私自身、多くの名選手がコーチへのキャリアチェンジの際につまずくのを見てきた。

 一方で、世界を見渡せば、けっして多くはないが名選手が名監督として活躍したケースもある。

 例えば、サッカーで言えば、ジネディーヌ・ジダン、フランツ・ベッケンバウアー、ヨハン・クライフだ。日本で言えば、柔道の井上康生氏がそうだろう。

 では、指導者に変われない人たちとの大きな違いは何だろうか? 私はその一つのカギが、「アンラーンできるかどうか」だと考えている。