過去に破滅した王朝と「習王朝」には共通点も

 中国史上で初めて国を統一したのは、秦の始皇帝(紀元前259~前210年)だといわれている。中央集権化を進め、天下を統一し、富国強兵に乗り出し、大がかりな宮殿建設を行ったが、農民への酷使や収奪が、中国史上初の農民の反乱「陳勝・呉広の乱」(前209年)に火をつけた。

 漢の時代の全盛期は、武帝(前156~前87年)が中央集権化のもと、対外拡張に力を入れ、シルクロード交易を促進させ、朝鮮やベトナムにも侵攻した。1世紀前後には、豪族の大土地所有の進展が社会に動揺をもたらし、後漢半ばには疫病も流行。こうした状況が「黄巾の乱」(184年)を招く。

 これらは現代の中国に共通するところがある。習近平氏を頂点とする中央集権体制と民衆支配の強化、現代版シルクロードといわれる「一帯一路」を軸とする対外拡張、また現代中国でも“富裕層のマンション購入の偏在”という不動産問題が社会を不安定化させている。疫病(新型コロナウイルス)の流行も重なる。

 一つの王朝は全盛期を迎え、いずれ衰退期に入る。歴史はその繰り返しだが、“習王朝”が第3期を迎える頃になると、コロナ対策に無益な措置が過剰に導入され、人々は大混乱の渦の中に引きずり込まれた。これが「白紙を掲げた抗議デモ」につながっていった。

 民衆の反乱が国家崩壊のきっかけを作る――中国共産党がSNSを厳しく統制するのは歴史の教訓があるからこそ。今回の抗議デモをきっかけに、当局は市民のスマホまでも調べ始めたと報じられているが、これでは市民の声がつくる“理想社会”など夢のまた夢だ。