日本では無名に近かった「アドラー心理学」を分かりやすく解説し、いまや世界累計部数1000万部を突破する大ベスト&ロングセラーとなった『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』。生きていく上で誰もが直面する対人関係の悩みに対し、「アドラー心理学」の教えが明確な答えを与え、共感を得ていることが世界中に支持を広げている最大の理由でしょう。
この連載では、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が、そうしたアドラー心理学の教えに基づいて、皆さんから寄せられたさまざまな悩みにお答えします。
今回は、田舎に帰省したとき親戚などから掛けられるデリカシーのない言葉に悩む男性からのご相談。岸見氏と古賀氏がアドラー心理学流でズバリ回答します。(こちらは2014年7月22日付け記事を改題・再構成したものです)
今回のご相談
「お正月やお盆に帰省するのが憂鬱です。子どもはまだか? と親戚中から言われます。」
結婚して4年になりますが、いまだ子どもに恵まれず、昨年から不妊治療をはじめました。故郷の親戚は、遠慮をしない人たちでプライバシーとか一切気にしません。
昨年、帰省したときに「子どもはまだか?」とずっと言われ、妻も私も悲しい気分になりました。
遠慮のない人たちなので、不妊治療のことを言えば、もっと何か言われると思います。兄夫婦の子どもが生まれつき目が悪かったのですが、「かわいそう、かわいそう」とずっと言われていて、とても嫌な気分になりました。
他人を気遣うカルチャーがなく、悪気はなく思ったことを言ってくる人たちの言葉に、傷つかないためにはどうしたら良いですか?(34歳の男性より)
「アドラー心理学流」回答
●なぜ、あなたが傷つくかというと親戚に「理解してもらうこと」を期待しているからです。
口さがない人たちを変えることは、おそらく無理です。ですから、そういう人たちとどうつき合っていくか、ということだけを考えましょう。
まず、「子どものことは尋ねてほしくない」というこちらの気持ちを相手が理解してくれるなんてことは、期待してはいけません。そしてもし、相手から理解されることを期待しないのであれば、何を言われても平気でいられるはずです。
あなたが傷つき、悲しくなるのは、相手に理解してもらおうという希望を捨てられないからなのです。その点を、しっかり理解する必要があります。
われわれは他者の期待を満たすために生きているのではないし、他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではありません。どんなに近しい人であっても、理解し合えないのはあたりまえのことなのです。
アドラー心理学では、「承認欲求」を否定します。
親戚の人たちはあなたの「課題」に土足で踏み込んでくるので、あなたは悲しい思いをしていますが、他者に「理解してもらうこと」を期待するのも、実はまったく同じ、他者の課題に土足で踏み込むことなのです。
あなたは、他者からの承認を強く求めているのです。
「子どもはまだか?」と尋ねられたら、「まだですよ」と(できれば、あっけらかんと)ただ事実だけを答えましょう。そのように尋ねる人の質問の意図を読もうとしてはいけないし、そんなふうに答えたらどう思われるかなんてことも、気にする必要はありません。
どんなときも深刻にならないことが大切です。
もちろん、不妊治療のことを言う必要も、まったくありません。
たまたまあなたの故郷には、遠慮をしないでプライバシーに踏み込んでくる、口さがない人たちが集中しているというだけで、普段の生活の中では、子どものことを尋ねてくる人は多くはないでしょう。
幸い、そこで暮らしているわけではないのですから、帰省したときだけ、嵐が通り過ぎるのを待つように過ごせばいいのです。
今回のアドラー流ポイント:承認欲求の否定
アドラー心理学の大きな特徴の一つに、「承認欲求の否定」があります。
他者から認められたいという気持ちは人間の自然な欲望かもしれませんが、その欲望に身を任せ、まるで坂道を転がるかのように生きてしまうと、その人は「他者の人生を生きる」しかありません。そのような生はきわめて不自由なものといえます。
アドラー心理学では承認欲求を否定し、誰にも認められなくとも自分を貫いて自由に生きることを推奨しています。