元首相の森喜朗と
社会学者の上野千鶴子
石川県金沢市にある名園・兼六園の、南方3キロの住宅地にある。男女共学の石川県立高校だが、設立時は「女子のみ」だったので、現在でも「旧女子校」の名残がある。
元首相の森喜朗が、金沢二水高校(以下「二水」)を代表する卒業生だ。二水時代はラグビー部で、早稲田大体育局の推薦を受け、商学部に進学した。ラグビー蹴球部に入ったものの、猛練習についていけず4カ月で退部した。
大学1年の終わり頃、演説や弁論を鍛える早大雄弁会に入った。ここで将来、政治家になろうという夢が育まれた。そのステップとして産経新聞社記者になった。
衆院議員として、1969年12月から2012年11月にかけ14回当選した。この間の00年4月に、脳梗塞で倒れた首相・小渕恵三(都立北高校・現飛鳥高校―早稲田大卒)の後を継ぐ形で首相の座に就いたが、01年4月、首相在任1年強で退いた。
首相退任後の活躍が、むしろ目覚ましい。スポーツ振興に情熱を燃やした。
日本体育協会会長に加え、日本ラグビーフットボール協会会長を10年間務め、19年9月に開かれた「ワールドカップ2019」の日本招致に尽力した。「二水」時代の体験が物を言ったのだ。
14年からは、20年夏に開かれる予定だった東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会の会長になった。新型コロナウイルスによるパンデミックで、東京五輪の開催は21年夏に延期されたが、その前の21年2月、森は同委員会の評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は、時間がかかる」「組織委にも女性がおられるが、みんなわきまえておられる」などと発言した。女性蔑視という国内外からの批判を浴び、森は会長辞任に追い込まれた。
東京五輪汚職・談合事件の捜査が続き、森は東京地検特捜部から参考人として任意で事情聴取を受けた。22年12月の会合で森は、「当時の会長として、おわび申し上げたい」と初めて謝罪した。
森より11年後の64年に「二水」に入学したのが、社会学者の上野千鶴子だ。京都大文学部哲学科で学び、大学院やオーバードクターを含め計12年、京大に在学した。