日本跨座式モノレールは1970年大阪万博の会場内交通機関としてお披露目され、次世代の都市交通機関として大きな期待を集めた。

 そこで1972年に「都市モノレールの整備の促進に関する法律」が成立し、1974年に都市モノレールの橋脚と橋桁(インフラ部)を道路管理者が公共事業として実施する補助制度が創設。1970年代末から1980年代初めにかけて都市モノレール事業として北九州、千葉、大阪、多摩、沖縄の計画が動き出し、各地域の事情で開業時期は大きく異なるものの順次、完成していった。

 この他、東京都心でも地下鉄12号線(後の大江戸線)に代わる構想として、恵比寿から王子付近まで環状5号線に沿って北上し、そこから浅草、両国、月島、浜松町を経由する環状モノレール計画があり、都市モノレール事業の第一弾として有力視されていた。

 また札幌、仙台、岐阜、京都、神戸、熊本など全国各地にもモノレール構想が興ったが、詳細な検討の結果、想定より建設費がかかることが明らかになり、さらにオイルショックや交通局の財政悪化の影響で歴史の中へ消えていった。

急速にモノレール整備が進む中国・重慶市
きっかけとなった「北九州モノレール体験」

 モノレールに代わって都市部の中量輸送機関として脚光を浴びたのが新交通システムである。独自技術で競争原理が働かなかったモノレールに対し、自動車技術を応用した統一規格を制定することでコストの低減を図り、さまざまな需要に柔軟に対応できるとされた。

 1980~90年代にかけて大阪南港ポートタウン線(ニュートラム)、横浜シーサイドライン、神戸新交通(六甲ライナー)、広島高速交通(アストラムライン)、ゆりかもめが整備されたが、結局これも想定通りとはいかず、モノレールと同程度の建設費になってしまった。

 栃木県宇都宮市のLRT整備に代表されるように、地方中核都市では公共交通の整備が検討されており、その中でモノレールも候補に挙げられることがある。だが空中を走行する性質上、旅客避難や保守性に問題があるため、モノレールは避けられる傾向にあるようだ。

 さて、そんな浮き沈みの激しいモノレールだが、冒頭に記した通り近年、急速に整備を進めているのが中国の重慶市だ。

 在重慶日本国総領事館ウェブサイトの「重慶モノレール誕生物語」は、重慶がモノレールを選択した理由を「重慶市の中心部(特に渝中区)の地形は山の凹凸が激しく、外から見るとまるで香港を思わせるような外観である。坂が多い中に建物が密集しているため、その隙間を縫う道路は狭い上に直線部分がほとんどない」と記している。