老いる自分へのジレンマが呪いに

たられば:西先生は緩和ケアの専門家として、他人の人生の最後を受け持つというか、テクニカルに死に携わっていると思うのですが。

西おっしゃる通りです。生きること、死に向かっていくことに物語が必要なのは、おそらくそうでないと人間は死、その先がないという現実に耐えられないからだと思います。だからこそ古来より、死後の世界や極楽浄土といった物語が用意されてきた。

 一方、従来の医療現場では、物語をはぎ取った状態で対象を扱うことが非常に多かった。緩和ケアでは、そうした物語を取り戻すことが大きなポイントになっています。

たられば:なるほど。この活動のお手伝いを始めて以来、医師の友人が増えたのですが、緩和ケア医は他のお医者さんと考え方がちょっと違うなと感じていて。今のお話で、腑に落ちました。

 西先生が挙げてくださった「#物語で学ぶ生老病死」作品は、『あさきゆめみし』完全版7巻其の35話、です。女三宮と柏木の横恋慕を目にした光源氏が柏木に対して、怨念とも言えるほどの呪いの言葉を吐く場面。「年月というものはけっしてさかさまには流れぬ……だれの上にもね……あなただっていずれは年をとってわたしのようになるのだよ」と。非常に強烈なシーンですが、なぜここを(笑)。

西光源氏って、多少色々とありつつも、女性との恋愛や出世において比較的順調満帆に過ごしてきた。ただ晩年になってその人生に陰りが見られ始める。表面的には成功しているように見えるけれど、内面はどんどん空虚になっていく。かつて愛した女性たちはみんな悟りを開いている一方で、光源氏だけがなんか……。

たられば:妄執とか老害と呼ばれる状態に陥っていくんですよね。

西そう(笑)。どうにも老いを感じてきたところに、めとったばかりの若い女三宮を、かつてのライバル・頭の中将の息子、柏木君に寝取られてしまう。口では「君だっていずれは歳をとって私のようになるんだよ」とさかしげに言っていますが、その老いに最も苦しめられているのは光源氏自身なんですよね。若さを妬み、老いに醜く抗った挙句、この言葉で柏木を追い詰め、呪い殺してしまう。