ラテン語こそ世界最高の教養である――。歴史、哲学、宗教のルーツがわかると大きな話題になっている『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』。著者は、超難関試験を突破し、東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏。彼に貴重な特別インタビューを行った。同書は韓国では35万部超の大ベストセラーとなったが、現地での反響を聞いた。(取材・構成/岡崎暢子)
韓国で35万部突破! その影響は?
――『教養としてのラテン語の授業』、韓国では35万部超の大ベストセラーとなっていますが、現地での反響はいかがですか?
ハン・ドンイルさん(以下、ハン) この本の初版部数は5000部でした。出版社側も、「ただでさえ勉強すべきことだらけなのにその上『ラテン語の授業』だって!?」と、消極的な対応だったと聞いています。ところがふたを開けてみると発売日初日に5000部の追加増刷、さらにその翌日に1万部の増刷が決まったのです。
最初は自分でも信じられませんでした。それまで私の本は学術書だったこともありますが、1000部以上売れたことがありませんでしたから。ですから重版決定の知らせに対し、出版社側が何か禁じ手でも使ったのかと思ったほどです(笑)。
しばらくして、韓国で反響というか、ちょっとした変化がありました。ソウルに江南(カンナム)という裕福な地域がありますが、そこの高校生たちがラテン語を勉強し始めたというのです。あまつさえ猛勉強に追われている江南の高校生たちがラテン語にまで着手するとは。その理由はアメリカの名門大学の進学準備だそうです。私はとんでもない罪を犯してしまったと思いました。
また、本書の影響でラテン語の勉強を始めた人の中には定年退職した人たちも多いと聞きます。どうりで、私が以前執筆したラテン語の文法書と辞書が高額にもかかわらずじわじわと売れていると思ったのですが、そんな理由があったようです。
本書にも記したように、ラテン語は難解な言語です。少しかじると分かりますが、楽しさよりも先に難しさの苦痛に襲われる言語です。この言語を修得するのに秘訣やコツなどはありません。それは人生も同じではないでしょうか。皮肉なことに、そんな気持ちで取り組むとラテン語が分かってきます。これはまあ、ラテン語に限ったことではありませんね。
――日本では、教育現場の先生からの反響も目立っています。
ハン 韓国でもそうです。本書は教壇に立つ人たちにも影響を与えたようです。その影響が2つあります。まずひとつ目は、教授たちが、やさしく分かりやすい文章を書こうと心がけるようになったということです。書式よりも、学生たちにしっかり伝わることが先決だということでしょう。
古代ギリシャ人のすごい思考法
ハン それからふたつ目は、授業の運び方について悩み始めたとのことでした。いかにして学生の関心を引き付けるか。本書は、私が西江大学で行った授業をもとにした本なので、参考になったのでしょう。15分スピーチの読書法でもお話しましたが、私は、講義の資料はすべて頭の中に入れてから教壇に立つようにしています。
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資料に目を通す時点で学生たちにどう話そうか組み立てているので、教室には、授業の最後に学生にインサイトを与えるためのラテン語のキーワードや名句を2、3行メモしたものを持参するだけ。また、授業終わりの時に学生に課す質問の答えは準備していきません。彼ら自身に考えてもらいたいからです。大学の授業というのはそういうものだと私は思っています。
私は教室に向かうとき「講義する」と考えたことはありません。「学生たちを説得しに行こう」と考えて臨んでいます。聞く人に感動を与えるためには、自分自身がまず感動していなければなりませんね。
――確かに、感動した人の話には説得力があります。
ハン 授業も同じです。学生を納得させるには自分がまず深く納得していなければなりません。これは古代ギリシャ人の考え方ですが、それが多くの人々の考えだからとか、年長者の考えだからといって、簡単に流されてしまわないこと。そのことが正解であると信じ込んではいけません。だから教える側も謙虚に学び、納得できたものを語るべきです。
2人の素晴らしい恩師
ハン 私がこうした考えに至ったのには、初めてラテン語を学んだ留学中に出会った、2人の素晴らしい恩師のおかげでもあります。お二人とも天才中の天才だったと思います。一人は神父で、1965年に天主教が大々的に刷新された時に、すべてラテン語で執り行われていたミサをローマ教皇の前でまとめた方です。今でも神父のラテン語は、前ローマ教皇ベネディクト16世のラテン語と並んで最高のものであると評価されています。
もう一人は『東方教会法典』をラテン語で完成させた司教です。先生は、いち留学生の私にもその貴重な作業過程を惜しみなく見せてくださいました。お二人とも大変な碩学であるにもかかわらず、常に学びの姿勢を崩さないのです。その姿を見ては私も襟を正していました。
何よりお二人に共通し、私が心から尊敬しているのが、彼らの謙虚な姿勢です。私がどんなに低レベルの質問をしてもいつでも親切に説明してくださいました。申し訳ないと言うと、「君がどれだけ理解したかを知ることが私にとっても大切だ」とも。
お二人とも学生がいつでも気軽に質問に行ける雰囲気を作ってくださっていました。思い返すと、教師と生徒の関係というより、人と人の関係として接してくださっていたのです。先生の影響は絶大で、私も彼らのようになりたいと思っています。ただ、私はまだまだ遠いようなのですが。
【大好評連載】
第1回 「お金があっても満たされない人」を救う3つの言葉
第2回 とてつもなく頭のいい人がやっている「最高の読書法」
第3回 世界一難しい!? バチカン裁判所のすごい採用試験
第4回 極貧生活からイタリア留学、人生を変えた「父のたった1つの教え」
ハン・ドンイル
韓国人初、東アジア初のロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士。ロタ・ロマーナが設立されて以来、700年の歴史上、930番目に宣誓した弁護人。
2001年にローマに留学し、法王庁立ラテラノ大学で2003年に教会法学修士号を最優秀で修了、2004年には同大学院で教会法学博士号を最優秀で取得。韓国とローマを行き来しながらイタリア法務法人で働き、その傍ら、西江大学でラテン語の講義を担当した。彼のラテン語講義は、他校の生徒や教授、一般人まで聴講に訪れるようになり、最高の名講義と評価された。その講義をまとめた本書は韓国で35万部以上売れ、ベストセラーとなった。
ラテン語を母語とする言語を使用している国々の歴史、文化、法律などに焦点を当て、「ラテン語の向こう側に見える世界」の面白さを幅広くとり上げている。ロタ・ロマーナの弁護士になるためには、ヨーロッパの歴史と同じくらい長い歴史を持つ教会法を深く理解するだけでなく、ヨーロッパ人でも習得が難しいラテン語はもちろん、その他ヨーロッパ言語もマスターしなければならない。加えて、ラテン語で進められる司法研修院3年課程も修了しなければならない。これらの課程をすべて終えたとしても、ロタ・ロマーナの弁護士試験の合格率は5~6%にすぎない。現在は翻訳や執筆を続けている。
著書に『法で読むヨーロッパ史』『カルペラテン語総合編(語学教材)』『カルペラテン語韓国語辞典』『ローマ法事典』『信じる人間に対して:ラテン語の授業2番目の時間』があり、『東方カトリック教会』『教父たちの聖書注解ローマ書』『教会法律用語辞典』などを韓国語に訳した。
【編集部からのお知らせ】
『教養としての「ラテン語の授業」』とは?
本書は、東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士となったハン・ドンイル氏が行った「ラテン語の授業」を整理したものだ。
彼の授業は、単なる語学の授業ではなく、総合人文科学の授業に近い。西洋文明の源流ともいえるラテン語を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済など多くのことを学べる。
監訳を担当した東京大学名誉教授である本村凌二氏も「ヨーロッパ各国の歴史、文化、法律に焦点を当て、ラテン語を通して見える世界の面白さを幅広くとり上げている」とコメントしている。
読売新聞読書委員、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授などを歴任した若松英輔氏も「言葉はレンズである。古い言葉を通して世界を眺めるとき、古びることのない叡知がよみがえる」と絶賛している。
本書目次より
日本語版刊行に寄せて──叡知の貯蔵庫としてのラテン語
Lectio I 胸に秘めた偉大なる幼稚さ
――Magna puerilitas quae est in me
・ラテン語はなぜ難しいのか?
・レオナルド・ダ・ヴィンチがラテン語を猛勉強した理由
・「偉大なる幼稚さ」を大切に
Lectio II 最初の授業は休講します
――Prima schola alba est
・学問とは「人間と世界を見つめる枠組み」を作る作業
・ローマ人のシンプルな教育制度
・あなたの心の陽炎を見つめてください
Lectio III ラテン語の品格
――De Elegantiis Linguae Latinae
・「否定」の概念は“夜に流れる水”から生まれた
・ラテン語はインド・ヨーロッパ語族に属している
・古代の人々は「母」という概念をどう考えたか?
・ピタゴラスはインドの思想に影響を受けていた
Lectio IV 私たちは学校のためではなく、人生のために学ぶ
――Non scholae sed vitae discimus
・赤ちゃんに学ぶ「言語学習の本質」
・ラテン語の発音からヨーロッパ社会を学ぶ
・発音からすけて見える「ヨーロッパ人のプライド」
Lectio V 長所と短所
――Defectus et Meritum
・長所と短所の「語源」から見えてくるもの
・自分の短所と目をそらさずに向き合う
・ラテン語の名句に学ぶ「捨てる勇気」
Lectio VI ひとりひとりの“スムマ・クム・ラウデ”
――Summa cum laude pro se quisque
・奥深いラテン語の名詞
・真の教育とは、勉強したくなる動機を与えること
・ラファエロの絵画と神秘主義
Lectio VII 私は勉強する労働者です
――Ego sum operarius studens
・ラテン語「エゴego」の役割
・習慣の語源が教えてくれること
・「勉強する労働者」は挫折を楽しむ
Lectio VIII カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい
―― Quae sunt Caesaris Caesari et quae sunt Dei Deo
・イエスの使徒パウロとローマのかかわり
・キリスト教がここまで普及した理由
・キリスト教における「政治と宗教の分離」
Lectio IX たとえ神がいなくとも
――Etsi Deus non daretur
・法学者グローティウスの主張
・聖書は弟子たちによる“授業ノート”か
・人が哲学や倫理を求めた理由
Lectio X 与えよ、さらば与えられん
――Do ut des
・「あなたが私に施したから、私もあなたに与えよう」
・「相互主義」という国際ルールの起源
・人生は、他者を思いやることで完成する
Lectio XI 時間は最も優れた裁判官である
――Tempus est optimus iudex
・時間にまつわるさまざまな言葉
・長い時間をかけて辞典を作り、悟ったこと
・古代ローマ人は「幸せ」をどう考えたか?
Lectio XII すべての動物は性交後にゆううつになる
――Post coitum omne animal triste est
・絶望の日々をどう乗り越えたか
・ラテン語の名句を英単語と照らし合わせる
・「期待した瞬間」が過ぎさると、人間は絶望する
Lectio XIII あなたが元気なら、よかったです。私は元気です
――Si vales, bene est; ego valeo
・古代ローマ人のあいさつ
・郵便は軍事目的でも使用されていた
・「あなたが安らかであってこそ、私も安心できる」
Lectio XIV 今日は私へ、明日はあなたへ
――Hodie mihi, Cras tibi
・死をくぐり抜けた人間は、どんな香りを放つのか?
・古代ローマの葬儀
・人間は、他者に残された記憶によって香りを放つ
Lectio XV 今日を楽しみなさい
――Carpe diem
・名句Carpe diemは農業に由来する言葉
・今日を我慢し、節制するのは美徳なのか?
・ローマ人たちも「過去」に縛られていた
Lectio XVI ローマ人の悪口
――Improperia Romanorum
・ラテン語の「洗練された悪口」
・「神聖な」「呪われた」という2つの意味が混在する言葉
・「心の言葉」に耳を澄ませよう
Lectio XVII ローマ人の年齢
――Aetates Romanorum
・ヨーロッパ言語が「水平型言語」である理由
・イタリア人に受け継がれた「寛大な精神」
・学びとは、自分だけの歩き方を学ぶこと
Lectio XVIII ローマ人の食事
――Cibi Romanorum
・「私を上に引っ張り上げる」ティラミス
・古代ローマ人の一日の食事
・宴がわかれば、ローマの文化がわかる
・同性愛を禁止した合理的な理由
Lectio XIX ローマ人の遊び
――Ludi Romanorum
・ローマ時代のさまざまなゲーム
・セネカが軽蔑した「円形闘技場の熱狂」
・高度な技術力に支えられた公共浴場
Lectio XX 物事は、知っているものしか見えない
――Tantum videmus quantum scimus
・ムッソリーニが標榜した「偉大なイタリア」
・カエサルが暗殺された場所
・自分が知っているものしか目に入らない
Lectio XXI 私は欲望する。ゆえに存在する。
――Desidero ergo sum
・スピノザとデカルトの違い
・満足とは「十分に何かをする」こと
・人間が作り出した最高の仮想が、人間を苦しめている
Lectio XXII 韓国人ですか?
――Coreanus esne?
・「国」という概念はいつから生まれたか?
・「天才教授の怒り」忘れられないエピソード
・「私たちはみな同じ人間」という真実
Lectio XXIII しかし、今日も明日も、またその次の日も、私は進んで行かねばならない
――Verumtamen oportet me hodie et cras et sequenti die ambulare
・sex の由来は数字の「6」だった
・単語ひとつに思想が反映される
・勉強の由来は「心から望む何かに力を注ぐこと」
Lectio XXIV 真理に服従せよ
――Obedire Veritati!
・世界の問題を「世俗の学問」の力で解決する
・ボローニャ大学の果たした役割
・真理を解くカギは「宗教」にある
Lectio XXV みな傷つけられ、最後は殺される
――Vulnerant omnes, ultima necat
・古代ローマでどのように医学が発展していったか?
・心と体を傷つけるのは、他者ではなく、自分自身
Lectio XXVI 愛しなさい、そしてあなたが望むことを行いなさい
――Dilige et fac quod vis
・砂漠とは、神への信仰が深まる場所
・タクラマカン砂漠の洗礼
Lectio XXVII これもまた過ぎゆく
――Hoc quoque transibit
・今日できることは明日に延ばそう
・「朝、自分に微笑みかける」という課題の真意
・うれしいことをしっかり嚙みしめる
Lectio XXVIII 命ある限り、希望はある
――Dum vita est, spes est
・今の人生を送るか? 完璧な世界で新たな人生を送るか?
・希望の語源は「期待して望む」
・死と直面して悟ったこと
・感謝の言葉
・監訳者あとがき