なんの変哲もない、
黄色いレインコートにダメ出し
国家安全法の誕生は、創作の世界にも激震をもたらした。映画界では、2019年のデモを直接テーマにしただけでなく、それを背景としてストーリーが展開する作品すらも上映前の検閲(その制度もまた、国家安全法施行後に大きく書き換えられた)によって、少しでもデモに触れるシーンはすべて削除を求められるという状況に陥っている。
映画関係者が苦笑しながら話してくれたところによると、デモ前に撮影が完了していたある作品では、主人公が着ている黄色いレインコートがダメ出しに遭ったという。それは香港のあちこちで売られ、簡単に手に入るなんの変哲もないレインコートだったが、だからこそ2019年のデモの際に、警察の放水車の特殊な薬入りの水を避けるために抵抗者の多くが身にまとっていた。それがデモを連想させると判断され、製作者はコンピューターを使ってその色を変更するしかなかったそうだ。
国家安全法によって最も懸念されたのは、これまで香港映画の得意ジャンルの一つである「香港ノワール」、つまり「警察vsマフィア」作品が撮れなくなるかも……という点だった。中国では警官は「正義の象徴」として描くべきとするテレビ・映画業界の指針があり、それが香港に援用されれば、たとえ映画の舞台が香港でも警察や権力の暗部や裏切りなどの場面設定ができなくなる。さらには被疑者の罪状を巡って真っ向から議論をぶつけ合う法廷劇も、同様に製作が難しくなるのではないかといわれた。
また、香港デモの解釈を巡って中国国内で展開されたプロパガンダを経て、中国国内における香港の位置付けが大きく変化した結果、ここ20年間香港映画界に流れ込んでいた、中国からの資金がザザッと引いた。その結果、これまでずっと「テーマはほぼなんでもござれ」だった香港映画界自体の将来が不安視される事態にも陥っていた。
本職の弁護士からも
高評価の「毒舌大状」
こんな事態にもかかわらず、前述の通り「毒舌大状」は空前の大ヒットとなり、多くの人たちが快哉を叫んでいる。もちろん映画は「作り物」なので、検閲に引っかかりそうなポイントはきちんと回避しているのだろう。だが非常に興味深いことに、実際に法廷に立つ法廷弁護士たちにも好評なのだ。SNSなどでは、「現実の法廷ではあり得ない点も多い」としながらも「面白かった」「スカッとできた」という評価が流れている。
また、新聞「明報」で連載コラムを持つ現職弁護士も、主人公が手も足も出ない状況に追い込まれたものの事態を打開しようと大奮闘するシーンに「非現実的なバカバカしさ」を感じて「没頭できなかった」としつつ、それでも映画を通じて「良心を持ち続けること」という自分の初心が呼び戻された、と感想を述べていた。
もともと香港人は映画好きだが、ここまで「本職」の人たちがわざわざ声を上げて支持する作品も珍しい。その感想の多くが「爽快だった」ことを強調しているところに、彼らが実際の法律の現場で直面する息苦しい思いが言外に伝わってくる。そういう意味においても、香港映画は今でも市民が求める「娯楽」としての役割をきちんと果たせているようだ。