私は救急車を呼び、部下を支店の前に立たせ、到着する救急隊に対応するよう指示した。救急車には、男性ではなく先輩の女性行員を同乗させた。課長は何を「叱咤(しった)激励」してしまったのだろう。山田さんの姿を見たのは、それが最後だった。
近隣マンションからの
クレームで発覚した事実
症状は回復し2日ほどで退院できたらしいが、そのまま依願退職(従業員が申し出た退職の意思表示に、企業が合意することで成立するもの)となった。退職手続きには母親が来ていたが、山田さんによく似た神経質そうな表情だった。過呼吸から発作を起こし、そのような状況になったと聞いたが、詳しいことは分からない。
もう、夏が始まろうとしていた。山田さんの退職から1週間ほどたったある日、近隣マンションの管理組合から電話があった。
「おたくの銀行のチラシが大量に捨てられているんだが、こんなことされちゃ困る。引き取りに来てくれ」
副支店長が平謝りで電話を切り、私に回収を命じた。マンションの管理人室に着くと、ゴミ捨て場に案内された。そこには、ポスティングされていない大量のチラシが捨てられていた。管理人に謝りながら回収し、営業で使っている軽自動車のトランクはすぐにチラシでいっぱいになった。山田さんは2カ月にわたり、チラシを投棄し続けていたのだった。
なんとも後味が悪かった。新入行員に自信をつけさせようと、盛り上げた私たちも良くなかったかもしれない。山田さんは山田さんで、他人には分からないプレッシャーを抱えてしまったかもしれない。誰が悪いと言い出しても始まらないが、真面目さと責任感の強さを求められる銀行員という職業柄、こういったことは多いのかもしれない。
私は精神科医ではないので詳しいことは分からないが、五月病と一口にくくられる症状はうつ、適応障害、あるいはその一歩手前に相当する歴然とした心の病だ。私が若い頃はパワハラが当たり前の社会で、月曜日の朝に憂鬱(ゆううつ)な気分で出社すれば、このように言われたものだ。