先日、ぼくがドアを開けて建物に入る際、後ろから来る人がいたのでドアを開けたままにして待っていた。そのとき、その人がぼくに発した言葉は、「あっ、すみません」だった。エレベーターでも同じことが起きる。後から入ってきた人に対して「何階ですか?」と聞くと、「すみません、5階です」。

 なぜこうも謝るのか。ぼくは謝られるようなことをしていない。謝るのは自分が悪いことをしたときだ。ドアを開けてもらうことも、代わりにエレベーターのボタンを押してもらうことも、“悪いこと”ではないはずだ。

 日々謝ってばかりの生活だと、自己肯定感が下がり、常に恐縮して生きることになる。

 謝る親を見て、子どもも、「なぜ謝るのだろうか」と疑問に思うのではないだろうか。

「人にドアを開けてもらうことや、エレベーターのボタンを押してもらうことは悪いことなのだろうか」と無意識のうちに刷り込まれる。そうしたことの積み重ねが、他者との交流をしにくくする原因になっているのではないか。なるべく他者と関わらずに、自分のことは自分でやる、という現代社会の断絶の仕組みを生み出しているように思う。

“ありがとう”を言ったり言われたりする機会が少ないのは、普段のこうしたあらゆる場面で、本来“ありがとう”が使える場面ですら使われなくなっているからではないか。悪いことをしたわけではない場合は、“すみません”のネガティブワードから、“ありがとう”のポジティブワードに変える。たったこれだけで双方の気持ちが変わる。

“ありがとう”には、言った人も、言われた人も、ポジティブで優しい気持ちにさせる力がある。そして、それを見た子どもは、人に親切にする・されることは、悪いことではなくて良いことだとはっきり理解できるだろう。

 慣れるまでは、生活の中で意識する必要がある。

 まずは感謝の言葉を1日1回誰かに伝えてみる。家族、仕事の仲間、友だち、店員さん、誰でもいい。そして、それを寝る前に思い出してみる。今日、自分は感謝の言葉を何回伝えることができたかな、誰に対して伝えることができたかな。

 これを一週間継続できたら、1回を3回に増やせばいい。

 1カ月継続できれば、きっと自然と自分の生活の中に“ありがとう”が取り込まれているだろう。3カ月も経てば、人間関係が良好になっていることに気づくだろう。