人は、普段当たり前にしていること、すなわち“対面で人と会うこと”、“家族と過ごすことができること”など、さまざまなことに対して、感謝を忘れがちになる。失って初めて、気づかされる何気ない普段の生活の価値。
対象が人でなくてもよい。たとえば食べ物一つひとつについて、この食材はどこかの農家さんが丹精こめて生産したものかもしれない、それを誰かがこうして料理にして……と想像してみる。
もしかしたら自分が想像するよりも感動的なストーリーがあるかもしれないし、想像したことと事実は全く異なるかもしれない。けれども、合っているか間違えているかはどうでもいい。それを想像できる力こそが大事なのだ。
必ず誰かがなんらかの形で関わっている。さまざまなことが多くの人の関わりの中でできていることは間違いない。そう思えるだけで自然と感謝の気持ちが湧いてくる。
すなわち、「当たり前は当たり前ではない」ということ。まずはここからスタートしたい。
今日学校に行くこと、友だちと遊ぶこと、仕事をすること、家族と食事をとること、今この本をカフェや自宅で読んでくれていること(ありがとうございます!!)。
当たり前だと思うと、人は横柄な態度になる。当たり前ではないと思えば、謙虚な態度になる。
人は健康を失ったときに、健康だった自分に戻りたいと願い、当たり前の大切さに気づく。歳を取ったときに、若い頃には当たり前に感じていた体力の大切さを知る。大切な人を失ったときに、その人の存在が、自分にとってどれほど大きなものであったかを知る。
今、自分がここにいること。食事をとれていること。この人と一緒にいられること。一つひとつの“当たり前”に感謝できるようになりたい。
西山直隆 著
想像力を持つことができれば、自然と感謝の気持ちがじわじわと湧き出てくる。
しかし、その気持ちも、日々の当たり前の日常の中で、だんだんと失われていってしまう。
だから、定期的に、あるいは事あるごとに、想像力を働かせて、今、目の前にあることが、当たり前ではないことを思い出さなければならない。思い出せるかどうかが大事だ。
お盆のお墓参りや、海外におけるサンクスギビングといった行事は、まさに我々に普段忘れがちな、先祖への感謝や、日々の生活への感謝を思い出させるための機会として、先人たちが創り上げた素晴らしい機能だったのだ。