よくよく自分を振り返ってみると、償いを伴わないシーンではわたしも気楽に謝ることができていることに気づきます。

「記事読んだけど、おまえなんか著名じゃねぇよ」
「すみません。盛りました」

 みたいな感じです。別に番組レギュラーを持っているわけではないですし。経済コラムはめちゃくちゃ読まれているんですけど……、みたいな感じで、一応謝ってもこの話なら何の償いも必要ありません。

 よく謝る人は、この範囲を広げるのが非常にうまい。ぱっと頭を下げ、そこで30秒静止して、「このたび世間をお騒がせしたことを深くおわびします」と謝罪します。世間に謝るのはタダなのです。

 一方で償いまで踏み込んで謝罪するのは結構大変です。最近、オードリーの春日さんが那須どうぶつ王国のロケでやらかしたことがあります。当初、春日さんが謝罪会見をしないことで世間の批判が高まりましたが、実は春日さんは多忙なスケジュールを調整して2日後に那須どうぶつ王国に直接謝罪に出向いていました。

 この事件、本当に被害を受けたのはペンギンと飼育員、そして那須どうぶつ王国です。その被害者に真っ先に謝罪をしにいくというのは当たり前の行動ですが、偉い人にはなかなかできることではありません。

 春日さんが偉い人かどうかは置いておくとしても、謝罪のため一日かけて那須まで往復すれば、当然その日に予定していた仕事が飛びますから、相応の損失も起きます。でも、直接の謝罪を優先したことは偉いと思いませんか。

 ただ、世の中には謝っただけでは済まないことも多々あります。「真摯(しんし)に対応したい」といったんは口にしても、その償いは裁判に持ち込まれることが多く、その裁判では償いが少額で済むように加害側の企業は真摯とは言えない主張を繰り広げます。

 世間はだんだんとこういったことに気づき始めています。だから以前だったらまるく収まったかもしれない償いのない謝罪会見が、最近は炎上するケースも増えてきました。それが一つ目の答えです。