2016年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの奇跡』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの奇跡Photo: Adobe Stock

「自分が、今、どれほど恵まれているか」に気がつくことこそが、本当の幸せ

 私がホテルでエレベーターを待っているとき、「白い杖」をついた男性が目に入りました。

 視覚障害をお持ちのようです。この男性が、「えーっと、どなたかホテルの人はいますか?」と声を出しました。

 私の後ろに、ちょうど、荷物を押しているホテルの女性スタッフがいました。女性スタッフが「はい」と答えると、白い杖を持った男性は、「○○の湯はどこにありますか?」と聞きました。

 女性スタッフは、男性が白い杖を持っていることに気がつかず、「あちらです」と指を差しました。指の先に看板があって、「○○の湯」までの案内が書かれてあります。

「あちらです」と言われても、男性は目が見えないので、どこに行けばいいのかわかりません。杖を持った男性は、女性スタッフに、「ちょっと肩を貸してくれませんか?」と声をかけました。

 女性スタッフは、ようやく、「男性が、視覚障害を持っている」ことに気がつき、「すみません」と謝りながら、彼に近寄って行ったのです。

 この光景を見ていて、感じたことがあります。

 私は、目が見えなくなったことはありません。目の見えることが当たり前で、「看板はあちらです」と言われたら「ああ、あっちなんだな」とすぐわかります。

 でも、目の見えない人にとって「あちらです」と言われたことは、当たり前のことではなかったのです。

 生まれてから一度も、目が見えたことがない人がいます。ある目の見えない知人から、「自分の親を1秒でいいから見てみたい。死ぬまでに一度でいいから、一瞬でも、0.1秒でもいいから見てみたい」「結婚した相手の顔を、1秒でも0.1秒でもいいから見てみたい」「自分の子どもの顔を、1秒でも0.1秒でもいいから見てみたい」と思いながら、生きていると、うかがいました。

 私たちは、目が見えなくなったことが一度もない、という状況にありながら、ほとんどの人が、目が見えるのが当たり前だと思って、感謝をしていません。

「目が見えたら感謝をしたい」と言いながら生きていて、それがかなわない人もいる。

 しかし、私たちは、ずっと目が見えているにもかかわらず、目が見えることに感謝をするどころか、「あれをよこせ」「これをよこせ」「あれがほしい」「これがほしい」と言い続けているのです。

 足りないものをどんどんリストアップして、「それが手に入らなければ幸せではない」と考えています。

 私は、酒も、タバコも、パチンコも、マージャンも、一切やりません。週の休みがない、月の休みがない、年の休みがない、生涯休みがない。「何が楽しくて生きているのですか?」と聞かれるのですが、ただ毎日、幸せを噛み締めて生きているだけです。

 この文章を読む前と、この文章を読み終わった後のみなさんの「状況」は、何ひとつ変わっていないでしょう。

 しかし、「幸せは、そう感じる心があるだけ」ということがわかったら、状況は何も変わっていなくても、「今の自分は、幸せの真っ只中にいる…」と思えるのではないでしょうか。