伝えられない声を伝える重要性
新たな対立を生む、その前に…

 今、旧統一教会の現役信者たちの声はほとんど伝えられない。教団側の主張も勅使河原秀行・教団改革推進本部長がメディア対応をするくらいだ。報道番組などのVTRを見ても、被害者や全国弁連の主張が9割で、教団側の反論はほんの1割ということもある。

 かばっているわけではなく、いくらなんでもフェアではないのではないか、と言いたいのだ。犯罪者だって弁護士がつくのに、刑事事件で「容疑者」にもなっていない旧統一教会に関しては、彼らの主張を伝えるメディアはどこにもない。

 だから、YouTubeで細々ではあるが、やってみようと思った。それだけである。

 もちろん、不愉快な方もいらっしゃるだろう。「反日カルトの言い分なんて耳を傾ける必要はない!“岸田を呼んで教育を受けさせろ”なんて戯言をいう連中はさっさと解散だ!」という人もいるだろう。

 ただ、筆者のドキュメンタリーを見ていただければわかるように、「日本滅亡を企む悪の反日団体」に属する人たちは、皆さんの隣にいる普通の市民だ。自分が信じていることを、「マインドコントロール」の一言で片付けられることに傷つき、「違うのにな」と悔しい思いをしている普通の人たちだ。

 今や「カルトに虐げられた悲劇ヒーロー」として多くの支援者もいる山上徹也被告は、自民党と旧統一教会問題の関係をまったく触れないこの社会に絶望して、あの犯行に走った、と言われている。偏った報道によって、山上被告とまったく同じ負の感情が、旧統一教会の信者の間で生まれる恐れもあるのだ。

 くどいようだが、かばっているわけではない。批判をするなと言っているわけでもない。叩くにしてもなんにしても、異なる考えを持つ人々の話に耳を傾けることなく、社会から排除をするのは新たな対立を生む恐れがある、と言いたいのだ。

 少しでも興味がわいたという方は、ぜひ本編をご覧になっていただきたい。

(ノンフィクションライター 窪田順生)