大学弁論部は東京大学や早稲田大学、慶應義塾大学などで創部100年を超える。ただし、政治や社会の大きなうねりの中で、エリートサークルは繁栄と衰退を繰り返してきた。1980年代以降に相次ぎ首相を輩出した早稲田大学雄弁会が極めた絶頂も、長い歴史の中での一幕にすぎないのだ。特集『知られざるエリート人脈 大学弁論部の正体』(全10回)の#1では、主要大学の弁論部の栄枯盛衰の歴史と「現在」をひもといていく。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)
早大雄弁会が「内閣占領中」
小渕内閣でOB4人が入閣
「ただいま内閣占領中」――。世紀末を迎えていた2000年、名門弁論部、早稲田大学雄弁会が新入生の勧誘に配ったビラにはそんな言葉が躍っていた。
前年には雄弁会OBでは石橋湛山、竹下登、海部俊樹の3氏に続く4人目の首相となる小渕恵三氏が第2次小渕内閣を発足させていた。内閣には小渕氏以下4人のOBが入った。
雄弁会のOBが首相に就き、3人ものOBを入閣させたのは後にも先にもこの時が初めてだ。世は小渕内閣を「雄弁会内閣」と評した。
その時に官房長官として初入閣した人物が、今年6月に死去した青木幹雄氏である。青木氏は、小渕氏が首相在任中に脳梗塞で倒れたときに、有力議員「5人組」の1人として森喜朗氏を後継首相に選んでいる。
森氏も雄弁会OBだ。森氏と青木氏の強固な絆は雄弁会時代に培われた。1957年の雄弁会の幹事長選挙で、森氏が先輩である青木氏の擁立工作に奔走したエピソードは関係者の間ではよく知られている。そして、その約40年後には今度は青木氏が森氏を担いだ格好となったのだ。
冒頭のビラのうたい文句のように、単に雄弁会が内閣を占領していただけではない。雄弁会人脈が永田町政治を動かしていたのだ。
まさに絶頂を極めた雄弁部だが、繁栄もあれば衰退もあるのが世の常だ(本特集#2『早大雄弁会は今や「派閥なし・選挙なし」、首相5人輩出の“政治家登竜門”を一変させた地殻変動』参照)。そして、近年、雄弁会が抱える大きな課題がある。それが部員の獲得だ。
首相を相次ぎ輩出していた90年前後、雄弁会には毎年100人を超える入部希望者が集まった。だが、近年では希望者は数十人ほどに減少。新型コロナウイルス禍に見舞われたここ数年はさらに厳しい状況に陥った。
苦境を招いたのは外部環境によるものだけではない。実は、早稲田の学内で、120年超の歴史を誇る雄弁会に代わり急速に台頭した新興の政治サークルがあるのだ。