日本では2007年に刊行され、「世の中にこんな会社があったのか」「こんなことを考えている会社があるのか」とパタゴニアという会社のユニークさを日本に知らしめたのが、『社員をサーフィンに行かせよう』だった。創業者のイヴォン・シュイナードが、「パタゴニア社員に理念を示す手引きとして書いた」という本は、世界で10カ国以上に翻訳され、高校や大学、有名企業でも注目され、ハーバード大学でもケーススタディとして取り上げられることになった。それから10年。パタゴニアの取り組みや新たな考え方を加えて生まれたのが、『[新版]社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』である。(文/上阪徹)

【熱狂的支持の秘密】パタゴニア創業者が大切にする「型破り」の仕事論Photo: Adobe Stock

パタゴニアが目指す「驚くべきゴール」とは

 2017年に刊行され、再びパタゴニアという世界でも珍しいユニークな会社の存在を世に知らしめることになった『[新版]社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』

 タイトルを見れば、「なるほど、社員をサーフィンに行かせてくれる会社なのか。それは面白そうだ」と思われるかもしれない。本書はベストセラーになっているが、このタイトルが多くの読者を惹きつけたことは想像に難くない。

 また、400ページ近い本書をパラパラとめくると、目に入ってくるのは、美しい写真の数々だ。

 壮大な大自然、動物たち、登山家やサーファーたち、色とりどりのパタゴニア製品、職人たち、途上国のフェアトレード認証工場で働く笑顔の女性たち、日本の店舗、版画やポスター……。手元にぜひ置いておきたい、と思えるフルカラーの見事な作りになっている。

 だが、タイトルや本の雰囲気だけに目を惹きつけられていては、本質を見誤る。

 たしかにパタゴニアは社員をサーフィンに行かせてくれる会社だ。これは事実。しかし、本の冒頭、カナダの著名なジャーナリスト、ナオミ・クラインが書いた本書の推薦文とも言える序文を読むだけで、パタゴニアという会社の狂気が見えてくる。

 社会的責任を果たしているとか、それこそ革命的だと自賛し、みずからを売り込もうとする企業ならいくらでもある(ヴァージンからナイキ、アップルなど)。だが、自社商品のジャケットをこれ以上買うなと顧客をいさめる企業など前代未聞だ。買った商品が壊れたら無償で修理するという企業、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定など、自社の利益を増やしてくれる貿易協定に反対のキャンペーンを展開する企業など聞いたことがない。(P.4)

 パタゴニアが目指しているのは、驚くべきものだ。地球規模で生態系が直面している危機の根源にある消費文化を変えること、なのである。ビジネスと環境問題という根本的な課題に、本気で挑戦しようとしている会社。それが、パタゴニアなのだ。

ビジネスは「自然の敵」だが、多くの問題を解決できる

 今や世界的な企業になっているパタゴニアは、クライミング、サーフィン、スキー、スノーボード、フライフィッシング、トレインランニングなど、アウトドア用品や衣料品の製造販売を手がけるメーカーである。

 自身、クライマーだった著者のイヴォン・シュイナードが、パタゴニアの創業者。本書のテーマについて、著者はこう記す。

 ビジネスマンを誇れる仕事とは思えない。ビジネスこそが自然の敵であり、土着文化の破壊者であり、貧しい人々から奪ったものを裕福な人々に届け、工場排水で地球を汚してきた張本人だからだ。
 同時に、食べ物を作り、病気を治し、人口増加を抑え、雇用を生みだし、生活の質を高めることができるのもビジネスだ。しかも、うまくやれば、魂を失うことなくこれら善行をなし、利益をあげられる。これが本書のテーマだ。
(P.15)

 自然豊かなアメリカのメイン州リスボンで職人の息子として生まれた著者は、いわゆる一般的な裕福さにまるで関心を持たなかった。大企業は嫌い。事業に成功してお金持ちになり、高級住宅地で過ごす、などという夢にもまるで魅力を感じなかった。

 そうではなく、自然に寄り添って暮らし、「危険を伴うスポーツ」と呼ばれるものに夢中になった。スポーツから、自然から、風変わりなライフスタイルからさまざまなことを学び、それを会社の経営に応用してきたのだ。

 クライミングと出会い、サーフィンや釣りの楽しみを知り、さしたる目的も収入源もなく放浪していたという本書の前半で語られていく著者の生い立ちは、どんな起業家の本にもない内容だろう。

 年間200日あまりも、陸軍払い下げの古い寝袋で寝た。テントを買ったのは40歳に手が届きそうになってからだ。低く枝をはったものみの木の下や岩陰などで寝るほうが好きだったからだ。(P.36)
 ヨセミテで我々は「渓谷のゲリラ」を自称した。2週間のキャンプ期限が切れたら、キャンプ場裏手に潜んでレンジャーをやり過ごす。また、経済的価値が認められていない岸壁や氷瀑の登攀をしていることに我々は誇りを感じていた。(P.36)

 岩壁に打ち込むクライミング用具を自作し始めたのは、1957年。自分と仲間用に作っていたが、やがて仲間の友達からも欲しいと言われるようになる。1964年に徴兵を終えると、ブリキ小屋を工房として用具づくりを再開。これが、パタゴニアの前身となるシュイナード・イクイップメントになった。

型破りの会社、最も大切な仕事論

 登山家相手の事業だったが、利益率は1%ほどしかなかった。だが、1970年には、アメリカ最大のクライミング用具メーカーになっていた。

 救いは、競争がほとんどなかったこと。こんな市場に参入しようと思う物好きは我々くらいしかいなかったのだ。(P.54)

 やがて、衣料品というニーズに出会う。当時の作業ズボンは丈夫なコーデュロイで作られており、これはクライミングにもうってつけだと思いついて布地を注文、クライミング用に仕立てあげると仲間から好評を得た。

 さらに、ラグビーの激しい動きに耐えるラグビー・シャツはロック・クライミングに最適かもしれないと試しに取り寄せてみると、あっという間に完売した。「カラフルなスポーツウェア」は珍しいと大ヒットすることになる。

 そして事業は、著者の思いを超えて大きくなっていく。

 私は、自分を事業家だと考えないようにしていた。自分はあくまでクライマーであり、サーファーであり、カヤッカーであり、スキーヤーであり、鍛冶職人だと思っていた。しているのは、自分や友だちが欲しいと思う優れた道具や機能的なウェアを楽しんで作ること。(中略)それなのに、いつのまにか、会社は山のような借入金を抱えてしまったし、たくさんの社員とその家族の生活も支えなければならなくなっていた。(P.72)

 しかし、同時に、普通のやり方でやれば自分が幸せになれないこともわかっていた。事業家になど、なりたくなかったのだ。だから、自分なりのやり方が必要だった。

 起業家精神についてお気に入りの言葉があるーー「それがなんたるかを理解したければ、非行少年に学べ」だ。彼らは「こんなのはバカげている。俺は俺の好きにする」と行動で語る。なりたくもなかった稼業につくのだから、なにか、なるべき理由が必要だろう。真剣に取り組むようになっても変えたくないことがひとつあった。毎日、楽しく仕事をする、という点だ。(P.74)

 そして、まさにこれを実現させていくのである。サーフィンはその一つに過ぎない。そして著者自身が、自社製品の摩耗試験と称して世界を歩いた。そこでわかったことがあった。自然界の驚くほどの荒廃だった。(次回に続く)

(本記事は『[新版]社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』より一部を引用して解説しています)

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『マインド・リセット~不安・不満・不可能をプラスに変える思考習慣』(三笠書房)、『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)、『10倍速く書ける 超スピード文章術』(ダイヤモンド社)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。