「本能寺の変」最大の謎、信長の首はどこへ消えたのか?「本能寺の変」持ち出し説の一つ、西山本門寺(静岡県・富士宮市)の織田信長公の首塚 Photo:PIXTA

本能寺の変を迎え、今後大きく話が展開していくことが予想されるNHK大河ドラマ「どうする家康」。日本史の中でもひときわ有名な事件として知られていますが、気になるのは織田信長の首がいったいどうなったのか…。そこで今回は、新晴正さんの著書『日本史 “その後”の運命』(青春出版社)から、織田信長の首はどこへ行ったのかについて抜粋紹介します。

それらしき焼死体が見つからず

 明智の軍勢が本能寺に突入したのが、天正十年(1582年)6月2日の明け方、午前6時ごろとされている。信長は思わぬ襲撃を受け、暫くは少ない手勢にもかかわらず何とか持ち堪えていたが、8時頃になって観念したらしく、燃え盛る殿中の奥深くに籠ると、割腹して果てたとされている。

 その後、頃合いを見た光秀は、家来に命じて火を消させると、焼け跡をくまなく探索させた。言うまでもなく、信長の焼死体を探すためである。ところが、どれだけ念入りに探し回っても、それらしき死体が見つからなかった。

「もしや落ち延びたのでは……」と疑心暗鬼に駆られる光秀。

 しかし、このときは明智の大軍が本能寺を蟻のはい出る隙間もないくらいに取り巻いていたのだ。信長が無事に窮地を脱したとはとても考えられなかった。では、割腹したのなら焼死体としてきっと残るはずなのに、それが見つからなかったのはなぜだろうか。