また、謝罪する立場から考えても、あまりに頻繁に謝罪をすると、他人から弱い人物(組織)、あるいは信頼できない人物(組織)と見られる可能性があるのだ。
それ故、経営者(組織のリーダーといってもいい)が公に謝罪することは、自分自身にとっても、そして彼らが代表する組織にとっても、大きなリスクを伴う行動なのである。謝罪を拒否することは、賢明である場合もあれば、自殺行為である場合もある。逆に、謝罪する用意があることは、強い人格の表れとも、弱さの表れともみなされる。
成功した謝罪は、窮地を個人的・組織的な勝利に変えることができる。一方、謝罪が少なすぎたり、遅すぎたり、賢い戦術が透けて見えたりすると、被害者心理はエスカレートして、個人や組織を破滅的な状況に追い込むことになる。
謝罪は「謝ればOK」ということではなく、被害者が許してあげる(問題とはあまり思わなくなる)までいかねば、ゴールではない。
ハーバード大学の学長が失言をして
謝り倒すも辞任に追い込まれたことが…
例えば、米国では過去に下記のような騒動があり、米誌「ハーバード・ビジネス・レビュー」(06年4月号)が分析の対象にしている。
「ハーバード大学のローレンス・サマーズ学長は、理工系に女性が少ないのは『本質的な適性』が原因ではないかと示唆したことを謝罪した。サマーズのケースは、指導者が謝罪のためにどこまでやるかを示す顕著な例である。学内外で大炎上を巻き起こし、学長は何度も何度も謝罪した」
「事件の数日後、サマーズはハーバード・コミュニティーの全メンバーに『私の発言が与えた影響を深く後悔し、もっと慎重になれなかったことを謝罪します』と書いた手紙を送った」
「1カ月後の教授会で、サマーズはこう述べた。『科学界や学術界において女性の進歩を推進するために長年懸命に努力してきたこの部屋にいる人々、そしてそれ以外の人々に、落胆させるようなシグナルを送ってしまったことを深く反省しています』」
そして、この会合の2日後にハーバード大学の教授陣に送られた別の書簡の中で、サマーズ氏はこう書いたという。