歴史小説の主人公は、過去の歴史を案内してくれる水先案内人のようなもの。面白い・好きな案内人を見つけられれば、歴史の世界にどっぷりつかり、そこから人生に必要なさまざまなものを吸収できる。水先案内人が魅力的かどうかは、歴史小説家の腕次第。つまり、自分にあった作家の作品を読むことが、歴史から教養を身につける最良の手段といえる。
直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、歴史小説マニアの視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
人生を変えた『真田太平記』
【前回】からの続き 思えば、もう30年近く前のこと。忘れもしない小学5年生の7月、私は初めて歴史小説に出会いました。
その日、母の買い物について奈良市にあるデパートに行った私は、その向かいにある古本屋の前で足を止めました。
その古本屋の軒先には、単行本のセットが積まれていました。そこで目にしたのが、『真田太平記』(池波正太郎 著)だったのです。
全16巻セットを母親にねだる
その瞬間、母に「買って!」とねだりました。それまで碌(ろく)に本を読まなかったので、母は「あんた、ほんまに読むんか?」と訝(いぶか)りました。
古本とはいえ、『真田太平記』の全16巻セットは、1万円くらいしました。母が二の足を踏んだのも、もっともです。
「ちゃんと読むから買って!」
すぐにむさぼり読む
日差しが強く、かなり暑い日だったと記憶しています。
全16巻のひと揃(そろ)えが古本屋の軒先に積まれていた光景を今でも鮮明に覚えています。
家に帰ってからすぐに、拝み倒して買ってもらった『真田太平記』を、むさぼるように読み始めました。
なぜ『真田太平記』をほしがったのか?
それにしても、なぜ母とデパートに買い物へ行ったあのとき、『真田太平記』をほしがったのでしょうか。
実は作家になってからもよくわからないままだったのですが、それは恐らく私が関西に生まれ育ったことと関係しているように思います。【次回に続く】
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。