「どうでもいいことに頑張りますね」マスコミ関係者の嘲笑

 なぜそんなことが断言できるのかというと、筆者も最近よくマスコミの知人から「どうでもいい」ということをよく言われるからだ。

 実は筆者は「旧統一教会のフロント団体」と呼ばれる国際勝共連合を題材にしたドキュメンタリー「反日と愛国」を制作しており、最近その後編「愛国を信じる人々」を公開した。

「旧統一教会御用達ライター」とか「教団にいくらもらったんだ」とかボロカスに叩かれながらも、なぜこんなことをやっているのかというと、『旧統一教会フロント組織の「潜入ドキュメンタリー」を私が作った理由』の中でも説明したように、「報道がフェアではない」からだ。

 あらゆるマスコミ、ジャーナリストの皆さんが「反日カルト」と批判しているわりに、当事者たちの「肉声」はほとんど紹介されていない。被害者救済にあたる弁護士や教団に強い恨みを抱く元信者などがほとんどで、現役信者たちの主張はほぼない。

 ネットやSNSで教団を叩いている人たちも、実際に信者の皆さんと会って、討論をした結果、そういう憎しみを抱いているわけではない。鈴木エイト氏など一部のジャーナリストや弁護士の皆さんの「主張」をベースにした報道で憎悪を抱いている。これは、あまりにも一方的だ。

 社会全体で叩いて教団を解散に追い込むにしても、当事者たちが今何を思い、何を考えて信仰や政治活動を続けているのかくらい耳を傾ける寛容さがあってもいいはずだ。

 ただ、そんな話をすると多くの人から「どうでもいい」と笑われる。意外に思うかもしれないが、特にマスコミ関係者ほどその傾向は顕著だ。

 例えば、ある全国紙記者には、筆者が信者たちの声を取材していると言うと「どうでもいいことに頑張りますね」とあきれられた。教団の不正やマインドコントロールを暴くのがジャーナリズムであって、頭のおかしい人たちの話など報道する価値もないというワケだ。

 また、ある情報番組ディレクターからは、「信者の主張を報じたらカルトの被害者を増やすのかと敵を増やすので、教団の悪い話や内部のゴタゴタを報じた方がいいですよ」とアドバイスされた。

 要するに、「旧統一教会=悪の組織」を叩く方が社会的なニーズもあるし、読者や視聴者の溜飲が下がるので、ビジネス的にそっちの方が美味しいですよ、とおっしゃっているのだ。