戦場の英雄も、戦後の世に馴染めず、そして再起ならず。そのまま失意のうちに世を去った者も決して少なくないという。
確かに戦後の世相を考えると、公職追放とは関係のない、それこそ日雇い仕事でも、旧軍人、ましてや陸軍士官学校や海軍兵学校出身の元将校の雇い入れを嫌う企業もあっただろう。時の権力者であるGHQ(連合国軍総司令官総司令部)に忖度してのことである。
トラック運転手からガリ版刷りまで
家族を養うには仕事を選べない
もっとも元職業軍人、元将校ら、そのすべてが戦後の世に馴染めず、刹那的に生きたわけではない。
「軍人はね、どんなに卑怯の誹りを受けても、他人から見て情けなく、みっともなくても、最後まで生き残って、国のために尽くさなければならない。だから命あるうちは生き抜くものなんだ」
かつて記者が縁した元海軍大佐の言葉である。実際、戦後も生き残った元将校は、苦労を強いられながらも、やはり軍人らしく逞しく戦後の世を生き抜いた者も数多い。
たとえば将官クラスまで進んだ元陸軍将校は、復員後、その翌日からトラックの運転助手の働き口をみつけて、かつての部下よりも若い人たちに混じって働いていたという。海の将官だった元海軍将校は、当時の印刷方法である謄写版(俗にいうガリ版)の清書や写字を行う筆耕業で生計を立てている。
先でも触れた記者が縁した元海軍大佐は、戦後すぐの頃から5、6年くらい後の数年間の時期を振り返り、次のような話を聞かせてくれたことがある。
「元職業軍人に厳しい時代、雇ってくれる会社もない。だから日雇い仕事で食いつなぐ。実家で家業があるならばそれを手伝う。あるいは商売をするしか家族を養う方法がなかった」
戦後、元職業軍人が商売を始めたのは、何がしかの目的があってのことではなく、こうした背景による止むにやまれないものであったとみるのが妥当かもしれない。商売を始めるしか生きる術がなかったのだろう。