戦前から戦後へ。価値観が一変した世相のなかで、かつての職業軍人への風当たりは強く、また冷たかったという。

 もう30年以上も前の話で恐縮だが、かつて記者は、この吉岡と同じ海軍兵学校卒で、吉岡よりも少し先輩にあたる期の人から、終戦直後の時代の苦労話について聞く機会を得た。

 その元海軍将校曰く、「口さがない人のなかには旧軍人、元職業軍人という経歴を明かすと、『戦犯(戦争犯罪人)』と罵る者もいる。もっとも戦犯指定はされなくとも、公職追放で、まっとうなところには勤められなかった」という。

「軍神」から「戦犯」へ
一夜にして変わった軍人の評価

 いつの時代でも、市井の人々は、世論というよくわからないものに迎合する。戦前の時代は「軍人さん」、はては「軍神」と旧軍人を持ち上げていた者が、戦後になると一転、その旧軍人を「戦犯」「人殺し」と罵声を浴びせる。

 こうした世相の激しい変化についていけなかった旧軍人のなかには、世を拗ね、刹那的に生きた者も少なからずいたという。

 こんな話がある。ある元海軍将校は、戦地から復員後、家でブラブラして過ごしていた。たまに家を出るのは日雇い仕事に出るときくらいだ。もちろん大した収入はない。戦場を渡り歩いてきたゆえか、あまり父になつかなかった娘が、父である元海軍将校にこう詰った。

「ろくに働きもせず――」「ろくに家にお金も入れず――」

 立腹した元海軍将校は娘に手をあげた。

 これは娘の側に立ってみると、確かに元海軍将校は「ろくに働きもしなかった」し、事実、「家にお金を入れなかった」のだろう。だが元海軍将校の側に立ってみると、公職追放や、当時の人々の軍人への厳しい目もあり、「ろくに働けなかった」ので、「家にお金を(入れたくても)入れられなかった」のだ。

 この元海軍将校もまた、太平洋戦史に名を残す歴史的な軍人である。