吉岡に限ってみれば、元海軍将校という経歴が通用しないビジネスの世界で一から地歩を築いていった。
《午前はリュックを背負い自転車に乗ってお得意先を回って注文をとり、午後は大阪の問屋さんで商品を仕入れ翌日配達するという毎日を続けるなかで(以下、略)》(出所:吉岡興業株式会社HP)
極めて真っ当な商いである。かつての同僚にモノを売りつけたり、どこか楽をして儲けようとしたりという意識が微塵も感じられない。このように地道な努力を愚直にできる人だったからこそ、吉岡は戦後の世でも成功したのだろう。
頭を下げ、注文を取り、仕入れて配達
エリート軍人からの発想転換
もっともこの吉岡の行動は、ビジネスで成功するには基本中の基本、当たり前のことだと言う人もいるかもしれない。確かにそうだろう。しかし戦前の世ではエリートとして遇されていた職業軍人が、価値観が大きく変わった戦後の世の中で、いざ、こうした行動が取れるかどうかどうかということを考えてみて欲しい。
営業などしたことのなかったエリート軍人が、頭を下げ、注文を取り、仕入れて配達、そしてまた注文を取り……戦後すぐのことである。軍人に厳しい世相のなかで、頭を下げて営業活動に走りまわる――。かつて、自らが就いていた地位を鑑みると、なかなかできることではないだろう。
これができるか、できないかが、成功か否かの差かもしれない。
戦後すぐの世と令和の今と、その時代も社会も異なるが、あえて吉岡が属した旧海軍の正当な伝統継承者を自認する組織、海上自衛隊の1等海佐に「もし今、国が占領され、海上自衛隊が解体。これにより貴官はすべての身分保障、年金などを一切合切取り上げられて在野に放り出されたら、どういう行動を取りますか」と訊いてみた。
するとこの防衛大出身の1佐は、武人らしく鋭い眼を記者にやり、心なしか姿勢を正しつつ、こう語った。
「気力も萎えて、腐っているだろう。国防に携わる身として、精神面も日々鍛錬している。だが正直なところ、それは生活面での保証があるという前提だ。いきなり路頭に迷えといわれて、生き抜くだけの精神力はあいにく私は持ち合わせていないと思う。もちろんそうした状況でも最善の努力はするが……。他の人(大勢の自衛官の意味)はわからない」