サービス業としての
体を成していない銀行業

 こうなってくると、既にサービス業としての体を成しておらず、嫌がらせのようにさえ思えてくる。正しく、全ての人に平等で利用しやすい窓口など、既に存在しないのだ。もちろん銀行は私企業であり、利益追求を株主とコミットしている。高齢者が多いマーケットだからといって、不採算の支店を存続させるわけにはいかないのも事実だ。

 窓口来店客数が1日30人程度の店舗ならば、存続する意味もないと考える。私が働いているみなとみらい支店の場合、コロナ禍で来店客数が激減し、ピーク時の約3分の1。コロナが明けた今でも、ピーク時の2分の1から3分の2にとどまっている。

 しかしそれは、自分たちが抑制したのだ。こうなることは分かっていたはずだ。SNS社会において、レピュテーションリスク、つまり、自社に関するネガティブな評価の拡散が、甚大な影響を与えている時代だ。わざわざ利用しにくい窓口にしたうえで、運用の見込める客だけ大歓迎では、あまりに虫が良すぎる。

「そういうの、分からないわ。今、来てるんだから、おたくのほうでやってくださらない?」

 これからの数年で、銀行窓口は大きく変わる。AIやロボットに取って代わられる代表業種の一つだそうだ。私が子供の頃は、駅の改札で切符にハサミを入れていた。これと同じように、銀行の窓口に人がいてお金を数えていたことが、昔話になるような未来が見える。

 ちなみに現在のM銀行では、入出金・振り込み・税金支払いなどは予約なしで窓口対応を行っている。ただしその他の取引は、今もなお前日の午後5時までに予約しなければならない。支店によっては相続手続き、口座開設などは1カ月先まで予約が埋まっているといった具合だ。

「別にやらなくてもいいからなんじゃないの? 自分に酔ってるだけじゃない?」

書影『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)
目黒冬弥 著

 銀行はライフラインじゃない。使いにくくなったと怒られることはあっても、開いていてよかったと感謝されることはない存在。娘の言葉が胸に突き刺さって離れない。この仕事を通じて社会の役に立ちたいと思うのは、自分に酔っていたからなのだろうか。そう思いたくない自分もいれば、そうかもしれないと感じる自分もいる。

 私に辛辣(しんらつ)な言葉を吐いた娘は、現在就活中だ。特にやりたいことは見つからないものの、金融業界だけは敬遠していると家内から聞いた。銀行員の家に生まれたばかりに、幼少期の頃から転校ばかり強いられ、コロナ禍でも出社する父の姿は、嫌悪感しかなかったのだろうか。父親らしいことをしてやれなかったのも事実なのだが、親の職業を正面から否定されるのも辛いものだ。

 悲喜こもごも、あまりにも多くの出来事があった。私は今日もこの銀行に感謝しながら、懸命に勤務している。

(現役行員 目黒冬弥)