健康保険も施行当初はトラブルだらけ
廃止を求めるストライキも勃発した
新しいシステムが始まるときは、思いもかけないトラブルが起こるものだ。今でこそ、日本の医療制度の根幹となっている健康保険も、順風満帆の船出だったわけではない。
1927(昭和2)年1月1日に、健康保険法が施行された約2カ月後。健康保険料の納付を巡り、想定外の出来事が起こっていた。健康保険料を納めるために、1000人近い健康保険の経理担当者が日本銀行に押し寄せ、銀行業務に支障をきたしたことを、『東京朝日新聞』(1927年3月5日付)が報じている。その様子は、「日銀前の広庭はまるで浅草仲見世の様な騒ぎ」だったそうだ。
健康保険法施行後の各界の評判は、不平不満だらけで、全国各地の労働組合は「健康保険法反対ストライキ」を起こした。保険料負担の方法を巡り、労使はかみ合わない主張を繰り返し、制度の廃止論まで出る始末だった。
だが、健康保険は小幅な改革を繰り返しながら、100年たった今では、この国で暮らす人々にとって、なくてはならない制度に成長している。もしも、施行当初に「トラブルがあるから、やめてしまえ」と健康保険を廃止していたら、だれもが少ない負担で必要な医療を受けられる今の日本は存在せず、さらに大きな格差社会となっていたはずだ。
マイナ保険証による資格確認は、始まったばかりのシステムだ。医療分野でのデジタル化が進んで、診療情報を一元的に管理できるようになれば、服用する医薬品の重複や、無駄な検査をなくすことができて、患者の負担は、身体的にも、経済的にも抑えられるようになるだろう。
マイナ保険証は、膨張し続ける国民医療費を抑え、質の高い医療を提供するためのシステムに成長する可能性を秘めている。せっかく、莫大な予算を投入して始めた制度だ。一部の人から、マイナ保険証の廃止論も出ているが、慌てて答えを出さず、もう少し、制度の行方を見守ってもいいのではないだろうか。