直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身おすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【直木賞作家が教える】歴史小説家と歴史家、警察小説家と警察官…その関係性の決定的な違いPhoto: Adobe Stock

揚げ足とりより共存を

史実を確定していくのが歴史家の仕事であり、史実の見方を提示するのが歴史小説家の仕事です。

両者は対立などしなくても、お互いに協力しながら共存できるはずです。

事実と脚色のバランスの妙

これは現実の警察官と警察小説を書く作家の関係を考えればよくわかります。

警察小説に書かれている物語には、事実もあれば脚色されたエピソードもあります。

現職の警察官からすれば「いやいや、それは盛りすぎでしょ」とツッコみたくなる部分も多々あるはずですが、警察官が警察小説の書き手を名指しで批判したという話を聞いたことがありません。

司馬遼太郎という
優れた歴史小説家

警察官は、警察小説をエンターテインメントとして理解し、許容しています。小説家が提示するのは一つの見解です。

その中には想像や脚色も多分に含まれています。読者は、あらかじめそういうものだと理解した上で読む必要があります。

創作だとはわかっていても、それを忘れてしまうくらいに引き込まれてしまうのが優れた歴史小説であり、司馬遼太郎はそのレベルの作品を残したということなのです。

※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。