直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
歴史小説にとって
「平成」の時代とは?
私の予想では平成という時代はいつまで経っても歴史小説の雰囲気を持たないような気がしています。
というのも、日本という国や日本人を大きく変えた出来事がいくつかある中で、史上最大の変化が起きたのは第二次世界大戦後だと考えているからです。
私は戦後の歴史を「新日本の歴史」と捉えています。だから、戦後の史実に基づいた小説は新歴史小説ではあるけれど、オーソドックスな歴史小説とは別物であるように思うのです。
第二次世界大戦が
ターニングポイント
日本の歴史を時系列で見ていくと、「この出来事があったからこうなってきた」というつながりを発見できます。
しかし、第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領時代の頃から、そのつながりは断絶したように見えます。
占領期間以降の日本は、良くも悪くも日本人が日本人らしくなくなる時代に突入しています。
歴史小説のとらえ方が変貌
つまり、現在は猛烈なスピードで歴史小説のイメージが変貌しつつある状況ともいえます。
大正期の人が、歴史小説を「祖先の物語」として身近に感じていたのに対し、近未来の人は、異世界の物語として受け止めるようになっている可能性があります。
将来的には、自分たちの先祖の話であるにもかかわらず、失われた国を観察するような感覚で歴史小説を読むことになるのかもしれません。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。