1986年度から1988年度まで3次にわたるNTT株式売却(計540万株)で、政府は10.1兆円もの売却益を得ており、国債償還財源のみならず公共事業の原資とされた。それだけに政府としては高値で売りたかったが、マネーゲームと化したNTT株をめぐり損失を被った投資家の不信、不満は株式市場にとって大きなマイナスとなることから、その後の売却は慎重を期すこととなった。
そうこうしているうちに、バブルははじけてしまった。1989年末に3万8000円以上を付けた日経平均は、1990年末に2万4000円、1991年末に2万2000円となり、1992年には2万円を下回って1万7000円を記録した。
それでも上場に向けた準備は着々と進んでいた。東海道・山陽、東北、上越新幹線を保有して各社にリースする「新幹線保有機構」が上場の妨げになるとして、各社が新幹線を買い取る形で1991年10月に廃止。上場基準を満たしたJR東日本とJR東海は、1991年度の上場を求めたが、政府(厳密には国鉄清算事業団)は保有株式の売却を1992年度、さらに1993年度に延期した。
三度目の正直として政府は1993年にJR東日本250万株、1996年にJR西日本株136万株、1997年にJR東海約135万株を売却。JR東日本は1999年、2002年に残る150万株を売却し完全民営化を達成。続いてJR西日本が2003年、JR東海が2006年に完全民営化した。本州三社合計の株式売却益は約4兆円に上る。
同時期にNTTとJTの株式も順次売却されたが、こちらは「株式市場の状況に鑑み」、1995年から1997年、2001年の株式売却を見送っている。政府は2005年までに順次、保有株を売却したが、NTT法・JT法は政府に3分の1以上の株式保有義務を課しているため、未だに完全民営化していない。JR株は売却益を国鉄債務の返済に充てることになっており、売却を急ぐ必要があった。
JR会社法から解き放たれたが
フリーハンドの経営は許されず
さて、晴れて完全な民間会社となったJR東日本は「JR会社法」から解き放たれた。同社と完全民営化を控えたJR東海とJR西日本の本州三社は2001年12月、一括してJR会社法の適用対象から除外された。
同法では「事業計画の策定及び変更」「関連事業の展開」「新株発行や社債の募集、長期資金の借入」などは国土交通大臣の認可が必要としていたが、除外されたことで財務、人事、事業計画の面で経営の自主性が増した。
とはいえ高い公共性を有するJRにフリーハンドの経営を許すわけにはいかない。そこでJR会社法の除外と同時に示されたのが「JR本州三社が引き続き国鉄改革の経緯を踏まえた事業経営を行うことを確保するため(略)当分の間配慮すべき事項に関する指針」だ。